忙しさのありがたさ
すきなの 最初の職場では、同じ吹奏楽部の顧問の先輩で音楽の先生に、生徒がした本当に些細な日常的な出来事について知らなかったという私に対して、生徒に、 この人に聞いてもあかんで。仕事しか能のない人やねんから・・・。 と言われ、怒りちぎっていたことがあるけれど、まあね、仕事人間...
議論を降りるということの大事さ。
議論していても、ずっと平行線のこともある。 価値観が違うというくらいなら、そのまま対話をして続けることもできるだろうけれど、ときに、誰が聞いてもおかしなことを言っている、と相手に対して思われるときは、その議論は終わりにした方がいい。 無用に傷つくだけだからだ。...
春期講習が始まっています!ーやる気の生徒。
受験に送り出す一方で、在校生のための春期講習を始めている。 来年の入試に向けて、世の中はもう始動している。 ましてや大学受験はもう始まっている。来年の共通テストである程度の点数を取っておかなければ、また二次対策をしておかなければ、直前になってからでは遅いからである...
重たい気持ちに気づくことができるだけで・・・。
大人だから、社会人だから、だから、この負担になっている気持ちに気づいてはいけないし、またそれを表現するなんて飛んでもない。だから黙っておこう・・・、ということは多い。 マシて、それなりに勉強したりして、その仲間たちが同じ経験をしたとして、声を上げるだろうか?という考えも頭を...
とんでもなくしあわせなこととしての仕事
ビジネスとしての仕事もあるけど、とにかく忙しくする仕事があるということに喜びを感じる。 私は仕事にしろ家事にしろ楽しいものにしてきた。 だから、仕事が楽しくないのだな、とわかる人に対してわかった瞬間、というか集中していないと感じた瞬間、とんでもなく寂しいし、その人に対しての...
なんであんな人と出会ってしまったのだろう?と思うことがあっても、それは必然だったりするわけで。
きれいごと大好きな私だし、あまりぶちぶちと愚痴ばかりを言いたくないけれど、しっかりお別れをしてみた挙句、なんであの出会いがあり、お付き合いがあったのだろう・・・?とその時間が惜しくもなり、そして自分のことを情けなく思うこともある。 かつて、師匠に当たる人が、...
誰だっていい人でいたいけど、いられなくなるということは?
い人だな、と思える人って、よほどできていない人でない限り、その人を取り巻く環境が、いい人でいられる、そういう環境にいる人だと思う。 大学時代の友人が、 お金持ちだったら、いい人でいられると思わん? と体育の時間に言っているのを聞いて、なんてことを言うんだ!...
仕事道具として。ーゼブラのサラサ(掛詞としても絶妙!)
日本人のネーミングセンスには、国語の教師の私も今更ながら驚くことがある。 今、私の仕事道具の中で、もっとも大事なもののひとつである、ゼブラのサラサを挙げようとして、変換の途中で「更紗」となり、ああ、そうだ!このネーミングは、サラサラかけるから「サラサ」なだけでなく、日本人馴...