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重たい気持ちに気づくことができるだけで・・・。


大人だから、社会人だから、だから、この負担になっている気持ちに気づいてはいけないし、またそれを表現するなんて飛んでもない。だから黙っておこう・・・、ということは多い。

マシて、それなりに勉強したりして、その仲間たちが同じ経験をしたとして、声を上げるだろうか?という考えも頭を過る。

こういう感情に囚われるなんて、スマートじゃない、とさえ思われ、ときに悶々とすることはないだろうか?


不快か?と言われたら、正直、重たい。

それを訴えるほどのことか?と言われたら、そうでもなさそうに思えて、まして信じられるかどうか?というところから始まって、結局自分だけで耐えようとして、心理的に破綻する。

いい人、優しい人なら鬱になる人もいるのかもしれない。


世の中のハラスメントはそうやって深刻化するのかもしれない。

誰にも言えず、こころの負担が大きくなる。

恥ずかしさというものもあるかもしれない。

私がこういうことされました、って、情けなくないかな?

などと、いじめられている人がいじめられているという状態そのものを情けないものとして、認められないように。

その構図の中にパワハラの要素などもあったら、もうなかなか表現できないだろう。


誰が決めたのか、人と人がいれば、それぞれに位置関係を確認したりする。

当然でしょ?というように、勝手にその関係性を決めて、それで当然と思われるハラスメントを行ったりする。


といいつつ、ハラスメント、ハラスメント、と声を大にして言いたいタイプでもない。

ただ、なんでこんな重たい気持ちになるのか?と思ったときに、言葉で定義してしまえばハラスメントということになることも多いだろう。


法律を持ち出すころには相当にそのことがこじれていることがあるように、ハラスメントという言葉が出るころには結構そのことがこじれてしまっていることもあると思う。

何にでもめくじらたてるのではなくて、柔らかい心を持ちつつ、どこかでこれは嫌だ、と言える勇気をもちたいものだと思う。

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