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国語のチェリーだというのは名目で?今日は数列を楽しんでいたという(笑)-高岡の大学受験塾チェリー・ブロッサム

  • 4 日前
  • 読了時間: 6分
国語のチェリーと言っておりますが、割と数学も好きで、ついお付き合いしてしまいます。(笑)
国語のチェリーと言っておりますが、割と数学も好きで、ついお付き合いしてしまいます。(笑)

今めちゃくちゃ私立の文系学部を受験するために、先日は金沢、今日は名古屋、数日後には東京に行く生徒がいるかと思えば、国公立二次試験に向けて、物理や化学、数学に英語を学習している受験生がいます。


昨日は思い切り国語を指導していました。そうそう雪の中の中一国語特別講座も開きました。


今日は一番最初は国公立理系。

数列をやろうということで、解いてみたら、なんとも筋のいい問題で、答えに感動してしまいました。

筋のいい、って法律系にしか使わないのかしらん?



数列って、ハマればハマる分野だと思います。

早くも中学生の間に、規則性の問題があり、高校受験の過去問などで解いていると、思い切り数列で、なんでかとても懐かしい思いがします。と言うのも高校の数列に取り組んでいた後で規則性の問題を解いたりということがあって、これは階差数列だななどと思っていたりもします。



ハマればハマる世界だということを知っています。

中三の図形の問題など一緒に解いていると時間を忘れます。

高校の数学は受験数学になると、ハーッとため息が出るような、解けた時の達成感というものがあります。

数学の力って、よほど力があれば違うとは思いますが、結局のところ、解説を理解できるかどうかということに掛かっていて、国公立二次試験の対策において、解説を読んでもわからないときに、受験生に、


その次どうなる?

○○と考えたらどうなる?

代数処理したら、シンプルにならない?


などと誘導を専門にしております。


最近反省しているのは、こちらが解説して、生徒さんが分かった気になっているようなことがあってはならないということです。

かつて思い切りダイレクトに、


塾と言うのは、わからせるのではなくて、わかった気にさせたらいいのだ。


という内容のことをおっしゃったのをお聞きしたことがあるのですが、私にはそれは無理です。

ちゃんとわかってほしい。

それから詰め込むのもあまり好きではありません。

ちゃんと考えたら、他のことにも応用が利いて、意外にその時に理解するための時間が掛かるようでいて、実はその時に理解しておけばほかのことも簡単にわかるというところがあります。


中学校の分野で言えば、理科一分野における計算などまさにそういうものだと思います。

水溶液の溶解度も、質量パーセント濃度も、飽和水蒸気量も、何だったら密度も圧力も、言ってみれば同じようなこ考え方で乗り切ることができます。

時間を掛けて詰め込むのではなくて、時間的拘束ではなく、楽しんで頭を働かせる・・・、そんな勉強をしてきたような気がします。


受験勉強に親和性があったんです、とおっしゃる方もいらっしゃいますが、それはどっちになるのかな?

努力もベクトルが合えば、もっと省力化した楽しいものになるだろうと思っています。


そういう点では指導するのに、めちゃくちゃ得意なのは古典文法です。

古典文法は暗記だと思っている人がいますが、実はそうではありません。

論理的な、めちゃくちゃ理屈な世界です。

本格的な受験指導に入ったときに、こと読解ができてしまったために古典文法などマスターもせず大学入試を突破してしまった私は、一から古典文法について勉強しましたが、とはいえそれとて体系的に勉強していたわけではなくて、わからないときに調べていたら自然と身についてしまったというわけです。

だから、古典文法を生徒さんの頭の中に叩き込む(これではまるで詰込みであるみたい?)のはめちゃくちゃ得意です。


武勇伝もあって、まあ、古典で赤点を取って、いわゆるヤバくなったときに、お呼びがかかるというのはよくあるパターンですが、ある生徒さんのところに家庭教師に伺ったことがありました。

その彼は、もっとレベルの高い高校に入る実力があったのに、日ごろの生活態度が悪く、3つくらいレベルが低めの高校に通っておられました。

実力があるからとクラス編成の時に、そういうつもりで生徒さんをクラス分けされた担任の先生から、初めての一学期中間考査の結果から、


お前には困る!


と言われたらしく、当然のように理系が好きな彼は古典で赤点を取って私と出会うことになったのでした。

夏期講習ということで、数回指導をさせていただいて、夏休み明けにはとんでもない、つまりは良い点数を取って、クラスでだったか学年でだったか2番で、先生が、答案を返されるときに、


みんな、○○を見習え!


と言ったその一瞬後、


ああ、見習ったらダメやった・・・。


とおっしゃったそうです。

勉強面では見習って良くても、普段の生活態度が・・・、ということでした。


私は理屈の世界が大好きです。

古文の恋物語などを解説することになると、とんでもなく入り込んで解説してしまい、周りの方からは、古文が一番得意な先生だと思われがちなのですが、そもそもは論理的な現代文が大好きです。

たしかに、予習と言うことになると、古文や漢文は予習がなくてその場で予備校などで授業しろと言われても別に構いませんが、現代文はやっておかないと、論理的に破綻してしまった場合、取り返しがつかなくなることはあります。


現在個別指導をしていて、何か質問されて困ることもなく、サラッと答えてしまうことについて悩んでしまったことがありました。

かつてのように、しっかり予習しておかなくても、指導ができるということに、あまりにも面白さがなくなってしまったのでした。

とはいえ、個別指導というのはそういうものです。その場で解けてなんぼ。


一人一人の生徒さんと深くお付き合いしたくて始めたようなところもありますが、ときに、以前のように何十人の生徒さんの前で授業したくなることがあります。思い切り予習して、完璧に構成して、間でどんな質問があってもその一コマのうちに指導を完了させる、その面白さと緊張感を思い出します。


とはいえ、いきなり出された数学の問題を、一緒に解くというのも面白いものです。

さてさて臨場感があるのはどちらだろうか?


かつて大学時代、本当は学問がしたいのに、やっぱりステージに立つということが自分の生活になければやっていられなくて、応援団吹奏楽部に在籍していたことがありました。

ステージに立つというのは大変にいろいろな意味でいろいろなことを経験させていただくことだったのだなあと今頃になって気付きます。

音楽をやるということは、それ相応の人間関係の中にいるということでもあって、今頃になって、当時の人間関係においてのあれこれの意味を理解したりもしています。

まさか一人で勉強することと、吹奏楽をやるということを、個別指導と予備校での教壇に立つことに譬えられるとは思いませんが、それでも予備校の授業って、どこか自分たちのステージのようで、授業が終わった後、先生方は皆さん、やったー!という感じの充実したお顔で職員室に戻って来ておられたのを思い出します。


私は、さて、これからという時間が好きで、それはステージでも同じでした。

精一杯やって来た。後は本番、というその瞬間が大好きだったのを思い出します。



 
 
 

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