一枚の年賀状のうれしさー高岡の個別指導塾チェリー・ブロッサム
- Mayumi Sakurai

- 1月16日
- 読了時間: 9分

年末に、ああ、〇〇先生にお年賀状を出さなくちゃ!と思い付きました。
でも、その方との関係性で、お年賀状をお出しするのは失礼ではないかしら?馴れ馴れしくないかな?とちょっとばかり悩んでしまっていました。
するかしないか?という選択を迫られたときには、私はどっちかというと、する方を選びます。
しないで後悔するのなら、することを選んで、失敗する方がまだましだと思っているからです。
それに私からの年賀状一枚で、そんなにあれこれ思われることはないかな?とも思ったのです。
お年賀状を返していただけるとは思っていませんでした。
お忙しいことを知っています。
私に年賀状を一枚書いてくださることの大変さも知っています。
その実、一昨年から、ひょんなことでお世話になるその方は先生というお立場の方です。
でも、私は先生としてではなくて、違うお立場の方として出会いました。
あることをお願いするという形で。
それも、哲学カフェ仲間の、信頼できる人が、ただものではないという表現をされたのですが、その仲間だと思わせていただいている方のお母さまも含めて親しくも感じていたし、柿もいただいたし、専門もどうも同じなその方が良いと言うものなら良いのだろうと思って、なぜか慕わしくなり、お願いしたのでした。
思えば相当な度胸というか、言ってみれば心臓やね・・・、と言われても仕方のないことをしたのでした。
でも、その方にお願いしたことは私にとってはとんでもなく大きな意味を持つことになったのでした。
私はときに、何の考えもなく、心臓やね・・・、ということをしてしまいます。
でも、そのことがとんでもなく素敵なことにつながるということも多いのです。
ちょうど読みたいと思っていた岡潔という数学者の『春宵夜話』についてのお話も、そこから思い出深い京都のお話も、そしてなぜに今ここで、その間の年月がどこかに行ったみたいに滑らかにつながるようなお話になっているのだろうか?という話題で楽しくお話しできたのでした。
ここで文章には上手にできないのですが、人間関係とか、人間観において、私の来し方と含めて、その先生とのお話は、私の人生についての捉え方という大きな意味で大変に有意義だったのです。
まるでフランクルの言う、「人生に意味などない。人生が意味を問うている。」という言葉通りに、自分が意味を作り出してきたその過程を考えるきっかけになったのでした。
話せない、話してはいけない過去の素敵な時代を話題にすることで、ああ、そんな時代があったのだと思わされたのです。
しかも、同じく札幌にもいらしたということで、何故にこんなに不思議なご縁の方とめぐり合わせていただいたのだろう?と不思議でならない方です。
大学での部活を聞かれて、さすがにあまりに女性らしさが遠のくようで、応援団吹奏楽部とは言えずに、
吹奏楽です。都大路をパレードしてました!
とお答えすると、
僕だって時代祭のバイトしたがな・・・。
となぜかものすごく懐かしい話題になっていたりもしました。
同級生の男子が、時代祭のバイトに行っていましたから。まるで学生時代のその雰囲気をそのままに感じられたのでした。
誰かと数学者の随筆の話をする・・・、予備校勤務時代なら先輩の先生と、こちらに来てからもできたことかもしれませんが、開校してからはそんな話をできることがおかしかったし、それよりなにより、京都での学生時代の、その土地の雰囲気まで感じられることを話すことができることが不思議だったのでした。
それから数か月。
あることがきっかけで母校のI高校の吹奏楽部が創部100周年を迎えることを知りました。
私は第一回定期公演の時の一年生です。
思えばとんでもないときに、その部にいたものです。
その時の部活での思い出が、その後の人生を言ってみれば支え続けてきたと言っても過言ではありません。
それほど、まあ言ってみれば大変だったとも言えるわけです。
こと国語科の教師としては、教師としての苦労はあったとしても、できなくて、仕事にたどり着けないほどのことはありませんでした。むしろ国語科の教師としては、その仕事に関しての評価としては恵まれてきたと思います。
大好きな音楽をするまでに至らないという思いもありました。
一人で音楽と向き合うときには、それはそれで楽しい思いもあり、でもバンドのメンバーと演奏した時の思い出って、どうしても良くないことばかり思い出してしまい、ときにピアノを教室で弾いていても、その頃のことを思い出して、弾くことができなくなることもあるという面もあったのです。
それでも、一年生で、あれこれあったとはいえ、定演で、ベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」のドラムを担当することになったこと。その陰には、プロの打楽器奏者でいらっしゃった先輩のお言葉があったこと。そのことによって勇気を出さざるを得なくなったこと。そのことが、教師になって、何があっても乗り越えてこられた礎になっていると思います。
私に厳しい試練を与えてくれた人もそれなりの役割をもって、私の背中を推してくださった方も、私にとってはありがたい温かい思いとして、私の人生の中で息づいておられます。
しんどかったけど、そのことがその後教員として、あるいは嫁として、母親として、娘として、どれほど支えてくれたことでしょうか。
高二では、三校合同演奏会で、モーリス・ラヴェルの「ボレロ」のスネアドラムを担当させていただきました。当時は他の楽器が下手だから担当しただけだと思っていたのですが、それでも、要所要所で支えてくれた「ボレロ」を聴くと、こんなこと高二でやっていただなんて、並大抵の心臓じゃなかったんだなあと思わされます。
自称他称、悩んでばかりいて、あれこれ逡巡していた高校時代ですが、そんなことしていたなんて、結構な度胸だったのかもしれません。大学では相当に目立つマーチンググロッケンを担当していたのですから、今さら昔はおとなしかったなどと言っても笑われるのは仕方がありません。(笑)
高二まではもう勉強なんてしてられませんでした。
目の前にあることを乗り越えるのに精一杯でした。
数学の先生が、文化祭で、私がドラムセットを叩いているのを見て、手拍子されていたらしく、後日の数学のテストには、
ドラマー真弓、数学もやればできる!
なあんて書いてくださっていました。
仕方のないことながら、勉強している暇のなかった私は、それでも根が融通の利くタイプではなく、先生に心配をおかけしていたことを相当気にしていたようです。
おまえ、よその学校行ったら、平均か平均以上の点数取れるんやから気にするな!
などと言われたり、その厳しさが有名で、担任の先生が(なぜに物理!?)、懇談会で母に、
お嬢さんからお聞きでしょうが、ことさらに厳しい先生で。
などと言われたらしく、相当に私の変な責任感の為に、先生方は振り回せておられたようです。
高三になり、数学はむしろ得点源となり、先生方のおかげで、今は大学受験数学を楽しく教えていたりします。
そうそう、わが母校I高校の不思議さは入学する前から知っていました。
やけに気に入られて困ったのちに高校の先輩となる中学時代の数学の先生は、担任の先生から、
○○さん、○○大?まあ、三浪ね!
と言われていたそうで、物理は上から三番目、数学はしたから五番目だったとかでもちろん数学の追試も受けていたそうで、それでも現役でその大学に入学し、それで数学の先生をされていたりします。なんでも大学では、専門でない分野の先生から、あまりに数学ができるので、
君は、○○科?
と言われるほどだったそうで、そんな話あっちこっちに転がっているような武勇伝の一つのようです。
私が高三になってからの数学の成績も気にしてくださっていたその先生は、私が母校に合格したことを知って、ものすごく喜んでくださいました。
そんな素敵な思い出を一掃してしまうほどの、吹奏楽での大変な思い出が、どうもここ最近、色合いを変えつつあります。
ちゃんと頑張っていたじゃないか。
高二で、ちゃんと「ボレロ」のスネアを叩いたんじゃないか。
おそらく同じことを自分の生徒がしたとしたら、そのことを、その勇気や度胸を、いや、演奏を?思い切り褒めてあげたと思います。
そうそう、大先輩のプロの先輩が本当に褒めてくださいましたが、本当に褒めてほしかった人がいらした方がいらっしゃったのでしょう。
当時の一年上の先輩に、演奏の出来不出来とかではなくても、
ようやったなあ。
って言ってもらえたり、同級生から、
よう叩いたなあ。
と言ってもらえたら、きっと嬉しかったのだろうと思います。
高三になって、ただ勉強だけになり、人間関係もクラスに限定されると、高校生活がこんなに楽なものなのかと思ったものでした。
高校の中にも、吹奏楽以外でドラムスをやっている同級生や、音楽の時間にドラマーになる人たちから、声を掛けてもらいました。それは自分たちにできない技術的なことを私ができるということについての、どうしたらできるのん?ということだったりもしました。
私の高校時代の思い出は、吹奏楽部の人間関係が主ですが、とはいえ、それ以外のところでは結構楽しいこともあったりしたなと思っています。
神戸・淡路大震災のボランティアとして中学時代の友達が参加した時にも、私のことを話していた友達がいたようで、吹奏楽を離れれば、それなりの心の交流もあったのだと思い出されます。
吹奏楽は当時、ほとんど仕事でした。辞めるという選択肢もないわけではなかったろうに、でも、今辞めたら絶対に後でその無責任さで自分を責めるだろうと思いました。
そんなあれこれ思い出のあるところから、その頃の人間関係への思いまで塗り替えていただくようなご縁です。
そんな方から、
お元気なご様子!何かあったら何でも言ってください。
だなんて、本当に嬉しかったのです。
過去は変えられない。変えられるのは未来。
とよく言われますが、その思い出までもその後の生き方で変えることができるというのは私の持論です。
とはいえ、こんなに最近、そう実感できるのは、周りの方々の温かさのおかげであると、私は本当に感謝しているのです。























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