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指導を頑張りすぎて?3日間のお休みをいただいておりました!-高岡の大学受験個別指導塾チェリー・ブロッサム

1 分前
読了時間: 9分
3日間のお休み・・・。
3日間のお休み・・・。

ここのところずっと仕事をしている。

お休みがあるほうが忙しい仕事であるから、シルバーウィークなどは、相当に忙しかった。


さて、結構疲れがたまっている。

比較的お昼間は自由の利く身だとは言うものの、夏からあれこれあり、結構相当忙しかったので、結構疲れがたまっている。

腱板断裂を起こしているので、リハビリの時に理学療法士さんに体を触っていただくときに肩の後ろの凝りに気付いていたが、とにかく眼精疲労がすごかった。

そりゃあ目を使うもの。


で、お休み一日目。

休むにも態勢がいる。

あまりに疲れがたまったときにはすぐには休めるようにはならない。

家事で、やりたいと思ったことを、朝、普通の日と同じように起きてやり始める。

ちょっと横になってもすぐに眠れたりはしない。

湯船にゆったりと浸かり、休もうとしてもまだ目が冴えている。


そこでゆらーッとするには?

いつもの方法。まずはベッドに寝ころんで、映画やドラマを観ながら、気持ちが仕事やその他しなければならないことから解放されていくのを待つ。

で、何だったらそのまま眠ってしまえるようになるまでうとうとするまで待つけれど、神経が冴えているのでなかなかそうもいかない。

で、リビングに行ったり、キッチンに立ったりしながら、リビングで座ってやっぱり映画を観ている。


「奥様は取扱注意」はおもしろかった。

最近、西島秀俊がおもしろいと思えるようになってきた。「昨日何食べた?」のせいかもしれない。

綾瀬はるかとは、「八重の桜」で兄妹の役をしていたし、夫婦の役もなかなかおもしろい。


それに、「妻小学生になる」もおもしろかった。

石田ゆり子と堤真一が夫婦役って、確か数年前に観た「願い」でもそうだった。

どちらも大好きな役者さん。


それから、稲垣吾郎主演の「窓辺にて」がおもしろかった。

稲垣吾郎がこんなにうまい俳優さんだとは知らなかった。なんともノーブルな感じ。

太宰の作品に出てくるようなライターで、元作家。

妻の編集者が、若い担当作家と浮気していることを知りながら、怒れない自分に戸惑っているというか、それでいいのかと思っているというか・・・。なんとも太宰的な男だなあとか思ってしまって、あれこれ考えていた。


そうそう、私は漱石作品に登場する、頭の回転の速い女が結構好きである。

どういうつながりだったか、なぜか『それから』を思い出してしまった。


私は、『それから』が大好きである。


大学二回生の時に、付き合っている人がいたというのに、ちょっと付き合っているというのではないけれど、よく一緒にいたいた人もその夏のレポートで私と同じく『それから』を選んだと聞いて嬉しかったのを思い出す。

映画も観に行った。

私が大好きな、美千代が代助に呼ばれて代助の家に着いた途端、のどが渇いたと言って、大きな花瓶の水を飲み始める場面が大好きである。この作品の特徴的な女性を表現した場面を藤谷美和子さんの美しさでうまく映像化されていたと思う。

今は亡き松田優作も素敵だったが、なぜか、昔代助が友人に美千代を譲ったという、その友人である平岡役の小林薫のその役によって全然演技が変わってしまうのに感心していたことも思い出す。


いつも思う。

作品としての完成度とか、構成の確実さみたいなものを取ってみれば、やはりそれは『こころ』に軍配が上がるように思う。実際私も好きだし、それに授業もしやすく、漱石のお得意の二項対立めいた表現もかっちりしている。

『こころ』も好きであるし、これは言いたいこともあり、論評もしてみたいなとも思っているくらいに私なりの読みもある。



などなどいろいろ考えていたが、文学作品について考えられるようになった頃には、スマホを持ったまま、スース―と眠ることができるようにもなっていた。


ここのところ思い切り忙しいというか、気忙しかった。

子育ての頃の、物理的な忙しさ、気持ちなど置いてさっさと次の行動に移ると言うような忙しさとは違って、いつもいろいろなことが頭にあるというような忙しさだった。




母が亡くなって4か月である。

まだ、明るい場所に積極的にはいけない。

自覚して喪に服しているというのとはまた違うけれど、生徒さんたちのことなどで、用事でイオンモールなどに行っても、すぐに疲れて帰ってきてしまう。

やけに疲れるのである。

肉親を亡くすというのはこういうことかなと思ってしまう。

母などは人生で一番長い付き合いの人なのであるはずであるから、やっぱり思いもたくさん溢れても来る。

いまだお料理の動画を見ていると、


これ作ってあげよう!


と思うようなところがあって、ふと、


ああ、もういないんだなあ・・・。


と気付く。


一昨日、まだ少々秋の疲れが残っているみたいだったので、朝早く起きて家事を済ませて、やっぱり湯船につかって湯たんぽも用意して、ベッドにもぐりこんでいた。

スース―とすぐに眠っていたら、夢を見た。

母と一緒にリビングにいる夢から覚めたと思ったら、母がリビングのテーブルにご飯茶碗とお皿を持って来て何やら食べ始めている。いつも肌が黒くて汚いわと言っていたのに、母はふくよかに色白な感じで、思わず母の肌を右手で触ってみて、


あれ?お母さん、おる・・・。


と言ったら、母は、ふふと笑って、


そやねん。


と言っている。


しばらくここにおるねんな。


と言ったら目が覚めた。



しばらくして、部屋の引き戸がガタガタいっている。


地震だろう・・・、と思って、ゆらゆらするのを待っていた。

揺れが来ないので、窓から外を見てみると、ご近所の方がお庭に出ておられたので、思わず、


今揺れましたよね?


と訊ねてみようかと思ってみる。


でも外におられるし・・・、と思っていたら、今度は最初の引き戸の次に反対側の引き戸までがたがた言ったので、


ああ、とうとう心霊現象か・・・。


と思っていた。ちょっと怖いが、あの夢の中の母の顔だったら、きっと私にお礼を言いに来たに違いない・・・。


で、お買い物に行って帰ってきて気付いた。

何気にお隣りさんとの間で、うまく表現できないが、そういうこともあろうか?という作業があったということに気付く。

そう言えばその前の日にお昼間に家の電話が鳴って、あまり機能していない電話なのでだいたいがどなたからかわかるというものであるが、その方のことを考えながら受話器を取ったら切れた、ということがあったが、きっとその作業の断りの電話だったのだろうと思った。


母が来て私はしばらく大阪人の気持ちも思い出していた。

心はすっかり富山、いえ高岡の人間だったから、しばらく母のペースに染まっていたという自覚があった。

でも母が亡くなって、日常生活が戻ってみると、なんてことはない、ただただ私は高岡の人間で、なおかつ人間関係に組み込まれているのを感じる。


長らく新参者として生きて来たのに、ここからご依頼?とか、この中に私が入ってるの?みたいなことが重なり、母と一緒に暮らしていた日々は何だったのだろう?と思わされたりする。


そうそう、人にはいろいろな人生における時期があり、当然に寂しい思いをしていた時期という思い出もあるのだけれど、毎日母がいる生活だったからだろうか、その淋しい時期を思い出して、相当に懐かしくなり、ついついその土地に行きたくなるというおかしな気持ちになったことがあった。

どうも課題を乗り越えている時期というのが後から考えると愛しくなるという性質をもっているという自覚はある。

ときどき説明すると驚かれたりもする。


一人になりたいときもあり、物理的なのか精神的なのか、一人でいる時間が欲しくなるタイプだからかもしれない。

教室にいる生徒たちは、いつも周りにたくさん人がいそうとは言ってくれるが、一人の時間が大好きなタイプでもある。


思えば4年間、最初に母が来た頃は、まだまだ元気な状態で、むしろリハビリを兼ねて歩かなければならなかったので、仕事を中心でいられた面もあった。でも母と仲良く暮らそうとして、結局母の言うことを聞いて、あっちこっちドライブに行ったりお買い物に行ったりしていた。

一人で、あるいは若い人とお買い物に出かけるのとは違う。

高齢者には高齢者なりのこだわりがある。



不燃物のお当番などでも、


すっかり家庭人!


などと言いながら、でもあちこち連れて行った。


老い先短いから行っとかな。


老い先短いから、見に行っておこう!


という言葉をジョークで言っていながら、いい所だと聞いたところは、とにかく行くようにしていた。

まさかその時がこんなに早く来るとも思わないで。


でも、いつも話していた。


もうお母さんが明日死んでも私は後悔がないくらいにあちこち連れて行ったわ!


と。


閻魔様の前で、仮に子どもがいいことをしたら、それに免じて、仮によくない行いがあったとしてもチャラにしていただけるということもあるらしい。


まあまあ、結構なわがままも聞いていたと思うけど、漢文によくある、おばあちゃんのように、いいところに生まれ変わってくれていたらいいなと思う。


漢文のいつぞやのセンター試験の模試におもしろい話が出ていた。

やっぱり夢の話。


ある人が夢を見て、閻魔様の前で隣村のおばあちゃんが最敬礼で閻魔様からお茶を勧められ、この方をいいところに至急生まれ変わらせるようにと冥界の役人に命じているところで、ある人はそばにいた役人に、


あれ、隣り村の農家のばあちゃんやけど、なんで?


と訊ねる。


冥界の役人は、


彼女には計算というものがなく、人の足を引っ張りもせず、嘘もつかない。そういう人はなかなかいないから一番いいところに生まれ変わるのです。


と言われて、がばっと夢から覚める。そのある人は、計算高い人で反省させられる夢だったということで・・・・。


さてさて可愛いママちゃんは、閻魔様の前でどういう判決を出されているのだろうか?


もしももしも、


あんた、娘さんにようしてもろうたやろ?あんたは娘をもう少し大事にした方がよかったかもしれんと思うけど、あんたの娘の行いに免じていいところに行かせてあげるわ!


と何気に富山弁で言ってくれないかしら?


浄玻璃の鏡なんかにコロコロした不細工娘の私が、母の為にあれこれしているところをお見せになりながら、


ああ、もう少しだけ真弓にいいことをしてやればよかったわ!助けてもらってばかりだったわ!


とか思ってくれないかしら?


こんなジョークを言える娘は親不孝?(笑)





 
 
 

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