高校がお休みの今日、高校生たちが朝から自習室に来ています!-高岡の大学受験個別指導塾チェリー・ブロッサム

ここのところ中学生も高校生も学校が、言ってみれば私の立場からすると不意にお休みがあってその間に個別指導のご依頼があったり、できなかった指導の振り替えがあったりもする。
要するに私たちの仕事は、学校がお休みの時が忙しくなるのである。
次の英検のための強化対策の指導を受けている子もいるし、来る中間テストに向けて籠っている子もいる。
明日と明後日は、中学生が学校がお休みだから、個別指導の強化指導が入る。
昨夜、ラインで、
明日、電車が8時11分に着くから開けてもらってもいいですか?
と連絡が来たのを見た時には、つくづく、
ああ、頑張ってるなあ・・・。
と思った。
次いで他の生徒からも、
明日は何時に開きますか?
と連絡が来たので、一番早い時間をみんなに伝えると、朝からちゃんと集まって勉強している。
さっきもう一つのHPのブログを書いていたように、そこには部活の話を書いていたのだけれど、高校時代にのめるものがあるって素敵なことだと思う。
その後にトラウマになりそうな経験かもしれないけれど、トラウマは人生の中でいつか消えゆく運命にある。
なにかを気付いたら雲散霧消もする。
というのは私の経験論である。
トラウマは経験してはいけない、あるいはそうであってはならないものもある。
でも、ときに、それ自体が意味を持って、解決する時を待っていて、ものによっては、大きな発見をもたらしてくれる。
時には人というものの理解につながる。
人はきっと乗り越えるべき課題をもって生まれてくるのだと思う。
最近、私は大きなトラウマめいたものの存在に気付き、結局整理してどうも乗り越えてしまったようだ。そこには新しい世界が広がっているということもある。
私の場合、長かったし苦しかった。でも乗り越え切ってしまったみたいである。
そこには、教師としての仕事の中に大いに役立つ発見もあった。
ああ、人間って○○なものなんだなあ・・・、とつくづく思ってしまう。
大学で文学をやった。心理学だって学んできた。
そばにいる人の心の中も、そして自分というものも、一人の力では全く分からないものである。
なにかがあってこそ理解ができる。
その何かが起こることをよしとするのか、あるいは何もないことをのみ願うのか?
その姿勢によって、人生に起こってくる出来事も、出会いも相当に変わってくるのだろうし、色合いも全く変わってしまうものなのだろうと思う。




















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