チェリー・ブロッサムフィロソフィ(哲学)
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高校受験も大学受験も、それぞれの進路がめでたく決まって、今年度の受験指導を無事に終えさせていただくことができました。
今年は、勝手知ったる受験指導に加えて、初めて国公立理系の数Ⅲまで見させていただくという修行の年でもありました。
それから文系の極みの生徒さんには日本史をかなり詳しくなるまで指導しました。
そうすると、ときにホームベースの国語を教えるときにことのほか新鮮で、私は以前のキレを取り戻した気がしたものでした。
今年一年を駆け抜けて、いろいろ気付かせてもらったことがあります。
今年は、自分自身の生活も充実した年でした。
このような仕事をしていると、自分のメンテナンスということがつい後回しになりますが、結構マメにクリニックや大きな病院に予防のため、念のために、掛かることが多かったように思います。
確定申告をしてみて、あらら・・・、という金額になっていたことに気付きました。(笑)
それは逆にまじめにやっていたということの証です。
それから、古本屋さんを見つけて大好きな本をたくさん買うことができたことも素敵なことでした。
そういう自分の生活に気を配ると指導の方にも生気が蘇り、ここ最近の指導では、相当キレが戻ってきているような気がします。
個人塾なので、というか、だからこそ、お一人お一人と真剣に向き合うことができます。
思えば成長したなあと思うお子さんの顔があれこれ思い浮かびます。
夏ごろに部活を引退して入塾してきたAくんは、最初こそにぎやかにあれこれおしゃべりも多くて、
ちょっとは落ち着きなさい!
余計なことは考えなくていいのよ!
などとよく言っていたのですが、受験の数か月前からずいぶん集中するようになり、結局初志貫徹で立派に合格することになりました。
今日から春期講習を受講していて、しっかり勉強する気も満々。
久しぶりに小学生のメンバーが二人入塾しましたが、まあ小学生って話題が豊富。
最初こそ、誰であっても、お互いを知るために、あれこれおしゃべりもしますが、それにしてもいろいろなことを教えてくれます。
男の子ってそうなのかなあ?
あれは○○?これは○○?
と鋭いことというか、ちょっとそこは盲点だったというような、というか、面白いことをおっしゃいます。
でも、最初こそ国語に比べてどうも算数が苦手だったのに、最近では自分で結構きっちり計算できるようになりました。
間違った問題について、最初から解説をするのではなくて、結構自分でやり直すように話してみるときちんと最後まで問題を解くというパターンが多くなってきました。
うちで使っている教材は決して易しくはないのですが、さっさと一年分を仕上げてしまわれました。
ちょっとホッとしました。(笑)
最近は以前にもまして、わからないところを解説すればいいというものではなく、生徒さんそれぞれが、どこでつまずいているのかということを見極めて、適切な指導をすることにしています。根本がわかっていないのに、それを解説せずに問題演習をするというのは無理がありますし、かといって、わかっている問題を演習の過程でただ間違えただけなのに、それを解説するのなら、むしろその練習する時間にあててあげた方がいいはずです。
何でもかんでも手取り足取りやってしまっては、その分野をマスターすれば他のこともできるようになるはずなのに、その力を育む機会までも失ってしまうことになります。
思考力を養うことって大事だと思います。
こっちで鍛えた思考力は別のことを学ぶときにはまた役に立ちます。
それに、国語を学ぶということは、メタ認知能力を高めるのに役に立ちます。
まるで手前味噌ですが、私は最近あることで知ったのですが、メタ認知能力が相当高いらしいのです。
メタ認知能力というのは、
自分の思考や行動、感情を「もう一人の自分」が上から俯瞰して客観的に把握・調整する力。
この能力があると、課題のモニタリングや自己修正が可能になる。そこから、学習効率の向上、冷静な問題解決、ストレス管理、コミュニケーションができるような力。
定義・・・「認知」を「認知」すること。自分の考え・記憶・行動・感情を客観的に見つめる力。
構成要素・・・メタ認知的知識:自分や他者の認知特性、課題の難易度に関する知識。
メタ認知的活動(技能):状況をモニタリングし、やり方を調整する行動。
能力が高い人の特徴
冷静な自己分析
高い問題解決能力
効率的な学習
高いコミュニケーション能力
これは、実は大学の応援団吹奏楽部の先輩の、心理学がご専門の先輩の被験者になったときに指摘されていたことでした。その当時はメタ認知能力が何かということも知らなかったのですが、とはいえ、大学で文学部で取ることのできる心理学の講義は相当数取っていて、結構専門的なことも学んだものでした。
加えて、教職教養などで発達心理学なども学び、赤ん坊を育てているときには、それはもう実験をしているみたいに、
ああ、あの表に書いてあったことはほんまややわ・・・。
と毎日楽しんでいました。
形より色に先に反応する。だからミッフィーちゃんが好きなのね!とか、赤ちゃんは、ベッドに寝ていて、自分の顔の上で、両方から手を目の前に上げて行って、それで手の先通しがきちんと合うかどうかを一生懸命練習というか、まるで実験するかのように何度も何度も繰り返すのです。
それに、友人の結婚式のために実家に帰っていたときには、私も気付いていたのですが、なぜか母が先に、
この子、最近いやいやいやいやって、首を振ることができるようになってんで。
と言ったりして、場所が変わると成長が加速するようでした。
そんなこんなで心理学とは相当に親和的という程度の立ち位置であれこれ考えていました。
ちなみに私が国文科でもっぱら作品論をやっていて、心理学的手法を取り入れた形で卒論を書こうとして、ゼミの先生にそれは違うと注意されたこともありました。(笑)
なぜ心理学に進まなかったのか?と言われたら、高3になって初めての進路指導の面談で、同じ国文科ご出身の担任の国語の先生が、
心理学は大学入って自分でやったらええねん。
と言ってくださったからでした。大学時代に読んだ本は結構カウンセリングなども含めて、国文科系の本とどちらが多かったかはよくわかりません。
だから、心理学的なことは大好きで、他のメンバーよりも熱心に、先輩に結果をお聞きしていました。
私はいろいろな要素が全体的に高かったらしく、でも、その形的には何と打楽器の女性の先輩と同じような形らしく、それが面白かったのです。ただ、とにかく下げるのよりは高くする方が楽らしくて、どこを高くすればいいのかは教えていただくことはできなかったのですが、ただ、その時に、最後に、
それで、結構自分のことを客観的に見ているとこもあるねん・・・。
と言って、今度詳しい話をしようと言ってくださっていたのに、その後の定演などでその話はどこかに行ったようでした。(笑)
数年前、教室のアシスタントをしてもらっていた人が、
先生、独り言多いから・・・。
とおっしゃっていましたが、メタ認知能力を高める方法の一つに、
独り言を言う。
というのがあります。それはその能力の高さの証左なのでしょうか?(笑)
そうそう、それで考えたのです。
私は、塾でメタ認知能力を高めたいというのもあるなということです。
今日も新高1生の春期講習で、思い切り熱弁を振るってしまったのですが、ノブレス・オブリージュについて語りました。
大袈裟にそのときにノブレス・オブリージュという言葉が思い浮かんだのではありません。
どこか私はおかしいところがあります。
昔っから仕事というものへの憧れと使命感が強いのです。
仕事というものの生業という側面も大いに認めつつ、でも、仕事を通して鍛えられる自分とか、仕事を通していかに社会貢献をしているのか?ということに大変に思いが強いのです。
だから、今自分が学んでいることで誰の役に立つのか?と思って、これは手を出したら効率が悪いと思ったら、手を引きます。
そして手持ちのカードを最大限に有効活用して発展させて、誰かの役に立てるように努めます。
どこで読んだのだったろうか?
かつて白居易が、自己の趣味とする水石の有名な産地に官吏として赴任したとき、絶対に水石には手を出さなかったといいます。
なぜなら、ひとたび愛する水石の産地でそのことに手を出してしまったら、自分は公務をおろそかにすると確信していたのだそうです。
その話を読んで、
ああ、白居易らしいな、と思ったのです。
そう思うほどにいったい白居易の何を知っていたのかという話ですが、それでも、不幸に見舞われた白居易が、自分の通り名である白楽天という名について、
ああ、私はその通り名の通り楽天家なのかもしれない。だって、これほどの不幸に見舞われても元気でやっているではないか・・・。
などという言葉を吐いたそうです。どこかで読んだという程度のことでしかないけれど、なぜかそこに、白居易のバランス感覚というか、ちょっと自分のことを客観視しているというか、その彼の人間に触れた気がしたのです。
とんでもないバランス感覚で、官僚としての出世(というか自分がエリート官僚になっても、税を取り立てられる貧しい民衆のことが忘れられない。)と詩人としての業績をここまで残した人はまれなのだそうで、そんな白楽天を相当に身近に感じてしまっているのです。
偉っそうに、と一方では思いつつ、バランス感覚という点では、そして私の場合、どこがノブレス・オブリージュなどと言えるのかわからないけれど、でもやっぱり自分一人のために学ばせてもらったとは思えない。
かつてお世話になった人のお父様は、終戦の焼け野原に列車から降りられて、この地であることをすることを指示されて、そうしてことをなされたというのをお聞きしたことがあります。
その方の身を想像してみては、自分にそんなことができるだろうかとよく思ったものでした。
そこまではいかない。
でも、自分が生きて来た、この分野で、とにかく誰かの役に立ちたい。
そうして、勉強だけでない力を伝えたい。
今朝、話を聞いてくれたこの春進学する生徒の一人は、
今日の話は胸に響きました。
と言ってくれました。
そういうことを一人一人の勉強に合わせての指導ということと共に、人間性という点でお伝えしていきたいのです。
それは必ずや、勉強を楽しむということにつながることだと思っているので。
生き方というのは人生の楽しみ方でもあると思っているので。




















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