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心に移り行く、よしなしごとなど・・・。


ときに、おかしなことがこころに浮かんで、ブログに書いては、私、今、どこに行っているのだろう・・・?と思うことがある。


自分の毎日をしっかり送っているのだから、それでよしとしなければならない、と思っているのに、何かの思い出が何かをきっかけにふと蘇り、まるでその場に行ってしまうかのように、私のこころはそのことに囚われる。

忙しい生活の中で、いったいどこにそんな時間があるのだろう・・・?と思われそうだけれど、健康的な日常生活を送っているという一面のその後ろに、自分の精神世界が広がっているのを感じる。


私は、ちょっとあくどい目の「経営者」と言われれば嬉しいだろうし、ドSと言われて嬉しいところもあるし、冷たい、などと表現されたら、超絶喜ぶのではないか?と思っている。

言われそうにないことを列挙してみた。(笑)

それを言うってことは反対ってことね!と言われて、がっかり。


それって、とっても健康的に、日常を過ごしているような気がする。

現実世界に適応して生きていくことは、とっても健康的である。

自分の内面にどっぷりと浸かり、自己の内面世界へと深く入っていくことが好きだ。

でも、そういうことを忘れて、目の前のことに必死というのもなかなかいいものだ。


楽をしたければ、日常生活のあれこれに対応していた方がいい。

ただ、考えなければいい仕事もできないし、いい日常も送れない。

真に豊かに生きようとしたら、自分と向き合う時間は大切である。


先日、中二生に、『徒然草』の序段の部分を訳しながら解説していた。

何にも見ないで、私の訳である。

この、序段。

特段することのないことに任せて、心に浮かんでは消えていくとりとめもないことをなんてことなく書きつけていると、不思議とおかしな気分になってくる。


もうちょっと激しめの訳もあるけれど、おかしな気分くらいがいいような気がする。

中学校で習った、訳だと、どうもピン!と来なかった。

私たち凡人にはそんなことなさそうに思えてくる。

不思議にも、気が変になることだ・・・、などと言われると。

でも、妙な気分になってくる・・・、くらいだと、ああ文章書いてる時の、あれね・・・、となる。


夜中になど、書かなければいけない文章を書いていると、それこそ極端になることもあるし、でも、一方、結構な枚数をレポートとして、一気呵成に仕上げて、結構いいものが仕上がることもある。


文章を書いていると、神様が降って来てくれると、うまく書けるな・・・、みたいなこともある。

きっとそれまでに頭の中にごっちゃに入っていたものが整理される瞬間を待ってる・・・、みたいなものなのだろうけれど。


結構、あちこちで人に会う機会が多かったり、教室でも新しい生徒さんが入られて、新しい人間関係ができる日々の中で、ときに私のこころがあっちこっち行くことがあるのも仕方がないのかもしれない。


ときは高校受験や大学受験へと向かう時期。

自ずと思い出すことも多くなってくる。


そんなこんなの混乱を楽しむのが一番いいのだと思う。

現実の世界に対応。でも、こころは当然に、いろんな出来事に触発されてあちこちへと動いていく。

それを私自身が統制して、かつてのことも、今に吸収していく。


などと、思ってみたり。


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