自分の機嫌の取り方
こういう時だからこそ、自分の機嫌の取り方、って、大切なのではないかと思う。
みんなが、いろんなことで疲弊し、イライラしがちだからこそ、自分のメンテに気をつけなければならないなあ、と思っている。
昨日、哲学カフェにZOOMで参加した。
論題の意味もあまりわからないくせに、結局質問したり、あれこれ言ってみたり、どこかでみんなでよりよく生きていきたい気持ちがあって、ついつい、ということになってしまう。最後に、こんな楽しい時間をもてるのも、なんて発言しておられた方がいらしたり、メッセンジャーで、いつか教育について話しましょうね、と言ってくださる方がいらして嬉しかった。
先生に教えていただいた出版社から出されている、何冊かの哲学書を読みたいと思っている。
私は、時折、音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観るだけで、元気になってしまうことがある。
毎日、何にもしていないような気がしていながら、一日を振り返ってみると、結構いろいろやっていた、ということは多い。
まあ、いつもの決め手はフランクル。
生き方に疲れたときは稲森和夫さんか、ヴィクトール・フランクル。
フランクルを読むと、いったい、生きることに疲れている暇がどこにあるんだい?と聞かれているような気がする。
もしも、今の状態に疲れている人がいらしたら、フランクルがお勧め。
最近、『夜と霧』のタイトルの意味をやっと知って、ますます生きていくことのおもしろさを実感している。
でも、最近、目の前の現実的なことにとらわれて、私は、自分の内面世界の充実を図れていなかったような気がしている。
特に国語という教科を専門にしている自分が、内面的な世界をおろそかにしてどうする?と思っている。