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何がなくても文章を書くことだけは忘れないー休暇中にはnoteに書いていました。


バタッと疲れに気付いて、一日だけ、と思ったのですが、結局4日ほどお休みをいただきました。

何でも仕事のできる人は休むことのできる人らしく、ことさら仕事ができないわけではないので、これはここらあたりで休むスキルというものを身に着けなければかえって良くないことになるな、と心底反省した次第です。


今日、中学生のコマが16時からあったのですが、全員試合やコンクールで来ることができなくなり、それではと急遽20時からの生徒さんに連絡し16時からのコマに入ってもらい、今日は早めの20時に閉校し、私も早めに帰らせていただくことにしました。

時代も変わってきていますし、毎年生徒さんの性質も変わります。

とにかく勉強以外のことに一時振り向いてしまったらもう勉強ができなくなるのでは?と思われる生徒さんもいないわけではありませんが、今在籍している生徒さんは、割と自ら勉強し、どうもご家庭で「勉強しなさい。」と言われるよりも自分からしなければならないという現実をきちんと受け止めておられるようです。

以前は親御さんの方が必死でその後をお子さんが何とかそうならなければ、と思っておられるような感じもしたし、今のままではよくない、という場合もあったのですが、ある意味落ち着いたものです。


数年掛けて、あれこれしていたことの効が奏したのか、落ち着いています。

意外にコロナ禍があり、いろいろ工夫せざるを得ない中で、それぞれの意識が高まったのかもしれません。


休暇中、ずっとベッドの上にいましたが、それでもやめられなかったのは文章を書くことでした。

私はいくつかのHPがあり、そしてそれ以外にも書くべきところを持っており、時にどこかに原稿を・・・、となったりするので、書く場所には事欠かないのですが、ベッドに寝たままでパソコンに向かうのはちょっと良くないと思っていたので、noteにスマホで投稿していました。


教室や相談室のHPだとやはり教師である自分を意識して、そうそうやんちゃなことも掛けず、幾分品行方正にならざるを得ないのですが、noteの場合、どこか自由度が高く、何である自分というものをしょっ引いて、まるまま自分で書いています。ただ一人間として。役割などは全く関係なく、私が私として書いています。

それが今回嫌というほど思い知らされました。

いっときなぜかHPの方には書けなくなっていたことがありました。

どうしてもnoteの方に書いてしまっていたのです。

その理由がわかったのです。

教師としての発信でなくて、丸侭自分からの発信だったのだと思ったのです。

塾は成績を上げるところです。なんとしてでも上げなければなりませんし、なんとしても志望校に合格してもらわなければなりません。

教科の勉強をする中で、自分というものを鍛えてほしい。

幾分きれいごとに傾きますし、そうそう自分の内面を書き出すわけにもいかないところがあります。

それがnoteだと書けていたのだろうと思います。


私がnoteを知ったのは、ある人の、ほかのブログだとどこかカッコつけることになるから、もっと本音を書きたい、そういう場としてnoteを選んだとの表現からでした。

先生筋のその方はとっくにおやめになっていそうですが、というより私の方があまり気にならなくなってしまい、知らないだけかもしれませんが、なぜか自分がハマってしまっていたようです。


寝ていても文章だけは書きたいんだな、ということで自分の心の中にあることを結構書き出していたようです。

まあね、柔柔書いていればいい事あるかもしれません。


誰かの役に立てるといいな、と思っています。

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