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部屋作り


私は、とんでもなく忙しい時期はそうも言ってられないけれど、部屋作り、というか、あれこれレイアウトすることが好きである。

若いころほどではないにせよ、とりあえず、あれこれファブリックを考えることが好きである。

トイレと洗面所のタオルにこだわったり、ちょっと小物で遊んでみたり、ゴミ箱をちょっと替えてみたり、カトラリーやお皿を見てくる、などということがとても好きである。


先日の占いの先生にも当てられた。

あなたはやりたいことがいっぱいある人でしょ。

躊躇なくやりなさい、と。

もちろん一人でやるのも好きだけれど、人を巻き込むのも好きである。

明日は、指導までの間、あれこれいろいろやろうと思う。


小さいころ、おじいちゃんの道具を勝手に使って、あれこれ作って、みんなに叱られそうになるときに、決まって庇ってくれたのは、叔父だった。

数学科の教育免許をもちながら、家業を継いでくれたのは、父のためだった。

そんな心の大きな叔父は、いたずらな姪の私の気持ちを汲んでくれて、母などが叱る前に、

いや、なかなかようできてるでー。この釘でできた足なんか、しっかりしてる、なかなかやるやないか・・・。


とか、お前が、○○、なんて、名字で呼ばれる年になったんやなあ・・・、と小学校一年生に上がった私が友達に呼ばれるのを嬉しそうにしてくれていた。

また、私が、どうしても野球帽が欲しくなったときには、その気持ちを否定せずに、得意先の人に、

無理言うてすみませんけど・・・、と言って、大人のキャップを持って来てもらってくれたこともあった。


楽しかった小さいころの思い出。


叔父が結婚して独立するときは寂しかったけど、毎日会えたし、お嫁さんになってくれた叔母も、気さくな人で大好きだった。

思えば、結婚前の叔父や叔母がいて、勤め人だった叔母など、ボーナスをもらったら、おもちゃを買ってきてくれたりして、楽しかった。

和裁を習いに行ってる叔母を呼びに行ったりして、なんとも古き良き時代だったような・・・。

私は、女性が、洋裁や和裁を習いに行ったりする様子が好きである。叔母やいとこ、妹などが、お華やお茶を習っていたのを見ていたから、それは素敵な世界に思えた。

自分ときたら、そういうものを習おうとも思わなかったけれど。

私はピアノしか習ったことがなかった。

というよりそれしかできなかったから。(笑)

だいたい、お華とか、芸術的なことがからきしダメなのである。


前栽から渡る風のさわやかさ。

風鈴の音。

おばあちゃんが作ってくれた冷やし飴のおいしさ。

決め決めの母とは違って、あれこれ抜け道を作って、いたずらを許してもらえるようにしてくれたおばあちゃん。

こっそり入って、素敵なものがありそうで、叔母の書棚をちょっと開けたら、素敵なコロンの香りがした。

赤いギンガムチェックのカーテン付きのガラス張りの書棚。


開けたことがバレて、叔母に叱られたけれど、なんとも素敵な空間だった。


谷崎潤一郎の『陰影礼賛』ではないけれど、昔の家には影の部分があった。

そして、どことなく怖さや気味の悪さもありながら、心惹かれるところがあった。

今の部屋は、本当に明るい。

その明るさを生かした部屋作りも素敵ではあるが、時折、あの、なんとも、どこに何があるのかわからないような、自分の生まれる前の歴史が感じられるような、そんな家が大好きだったと思う。


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