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最近また気づいた、誰かの世話をすることの自分に返ってくる気持ちのありがたさ


最近、母と一緒によく出歩いている。

母に右腕を貸して歩いていて、お買い物をするときなど、店員さんがことさらに親切にしてくださるような気がしている。

今日も、単純に遊びに来てくれてもいいですよ!歩かなきゃいけないから・・・。見に来るだけなら、僕ら、そう言ってくれたら着いて歩かないから・・・。なんて、親切に行ってくださった。


そんな時、一人で歩いているよりも、たくさんの人と会話しているのを感じる。

こっちとあっちの性能の違いは?値段が違うのはなぜ?同じ値段なのに、これとこれはどう違うの?

母を預かる身としての真剣さも増すというものだけれど、それがきっかけとなって、以前よりあれこれ楽しくいろんな人と話しているのを感じる。

また、今度ゆっくり見に来ようね!などと次回の楽しみにもなって、来週への希望になる。


母といると、人間の思いというものに、あれこれと気付かされるし、私自身にも気づきがある。

昔、妊婦で、まだ運転ができなかった頃、同居していた家族に申し訳なくて、なかなか、どこに連れて行ってほしいと率直に表現できなかった。夫が家にいる土曜日と日曜日にお願いできないと、もう、何もできない。お買い物にもなかなか行けないという日々だった。遠慮するなと言われても、妊婦で自転車にも乗れないと、それは大変だった。当時の実家は駅まで徒歩5分という便利さで、梅田には40分、河原町には50分。それに隣の、高校のあった駅まで行けば、なんでもそろえることができた。

加えて、どうも嫁に来るときに、運転免許と軽自動車をも持ってくるのが常だとも知らなかった。それまで自動車を切実に必要だと思う生活をしていなかったから。

教員免許とピアノは持ってきたけれど・・・。(笑)

無用の長物扱いだった。(笑)


それから私が、軽自動車ではなく、まだコンパクトカーだけれど、普通車に乗れるようになっただなんて、しかもまだ東京は行けてはいないけれど、関西方面なら車で行けるようになっただなんて、なかなか素晴らしいと自分でも思っている。そう言えばピアノを最近あまり弾いていない。


お願いする方の気持ち、というのはいつも心に留めておかなければならないな、と思っている。

でも、お願いする方も、あっさりお願いするのがコツだなあ、とも思っている。我慢せずにあっさりとお願いする。できることはできること、できないことはできないこととあっさり答えるのは要諦である。


お願いされて悪い気するとばかりは限らない。頼られて、そのことができて、相手が喜んでくれれば、嬉しい気持ちが返ってくる。響いてくる。誰かが嬉しい、助かった、と思ってくれるのは嬉しいことだ。

今日は、病院で測定するようにと言われたために、血圧計を買いに行ってきた。


ああ、これで母は、自分で、気楽に血圧を測ることができる。

気を遣う母には、できるだけ自分でしている、という実感を持ってもらえるようにと、一つのものを選ぶのにも気をつけている。

本当は、何にもできなくても、いてくれるだけでも十分楽しい、嬉しいということもあるのだけれど、人間というのは、誰でも誰かの役に立っていたい、と思うもののようである。

それはそうである。

だから、私は、今の仕事が好きなのだし、意外に家庭生活に向いていたのは、世話をすることが好きで、役に立っている、家族が喜んでいる、という実感を味わえるからだ。


それは誰しものことだろう。

その気持ちを大事にしなければならないと思う。

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