嘘をつかない―実は大学受験でも高校受験でも大切なこと
意外に嘘をつくことの大変さを知らない人が多いなあ、と思うときがある。
ある筋からだけれど、大学受験の勉強をするにあたって、「嘘をつかない」ということを心構えとして教えられた。
まあ、青春時代。
微塵も嘘のない生活をしているわけもなく・・・。
当時付き合っていた彼には、「自分は(大阪人は二人称によく、自分は・・・、という表現を使う。)、都合の悪いこと、隠して置けなくて、自分から言っちゃうじゃん!」と言われていた、幾分正直目の私にも、あれこれ嘘があったと思う。
だから、若い受験生に、「全部本当のことを言いなさい!」なんて乱暴なことを言うつもりもなければ、、また、自分自身、すべて本当のことを言ったら、どれほどの人を傷つけることになるかわからないので、全く嘘をついていないとも言わない。マナー程度の嘘はつく。
ただし、自分の目標や夢に向かって嘘をつく―つまり、自分に嘘をつくのはよくない。
先日、ある方と話していたのだけれど、しあわせになるには勇気もいれば、努力もいる。
だって、しあわせになる努力をしないで、日々ぐちぐちと文句を言ってる方が楽だから。
○○があるからできないんだよね・・・。
あの人は頭がいいから・・・。
能力があるから・・・。
努力が報われるタイプ・・・。
体力あって・・・。
人のことを見ている時間があったら、目の前の自分の努力をする方が精神衛生上もいいような。
理由は何でも言える。
条件だけでうまくいった話は知らない。
もちろん、条件や環境もあるだろう。
けれど、そこは漢文も教えている身から言えば、苦労は、まるで砥石のようなもの。
天は、本当に力のある人には、試練を与える。という漢文の文章を読んだことがある。
努力なくして、素敵なものなど手に入らない。
それから、自分を守るために嘘をついてる間に、知らず知らず人を傷つけている場合がある。
もちろん、傷つけるのはよくない。
でも、傷つけられた人は、おそらく、そのことをバネに勝手に成長してくだろう。
自分の人生に起こったこととして・・・。
でも傷つけた分だけ、自分に返ってくる。
大事なときに、実力が発揮できないということだってある。
それから何より、嘘をつくと、自分の頭が混乱する。
一つ嘘をつけば、雪だるま式にあれこれ嘘をつかなければならなくなる。
つまり、始終そのことを思っていなければいけなくて、嘘は絶対に非効率的にできている。
いつのことだったか、シンプルに生きるのが一番楽だ、と悟った。
いや、これは私の意見だけど。
嘘ついたら、最初はうまくいったとしても、結果的に信頼なくすし。
いろんな立場があるだろうけれど、私はできるだけ嘘をつかず、こいつはアホか?(関西風の解釈でお願いします。)と言われるほど、正直が、最終的には得をすると思っている。
いつの間にか実力をつけている、という点においても。
今までの生徒さんや友人で、尊敬できる人も、なんだかシンプルな人が多かったような。