自分の中での変化
母に言わせたら、いや、おそらくは誰に聞いても、私が悪くはない、と言われることで、ちょっと考えさせられることが二回ほど続いた。それ以外の人に言ったら、それ見たことか、と笑われそうだし・・・。
あまりに相手が悪びれないと、つまりは、すごんでこられると、こちらが悪いのか?と思わされることもある。
原理原則は簡単なことなのである。
その原理原則から私が外れたことをするから、考えなければならなくなるのである。ただし、悩んではいないけど。
先日、ある人と話していた。
その人は、昔っから私が気が軽くなるように、負担が軽くなるように話してくれる。
もういいやないか、精一杯やってるやないか・・・。
そんな心の声が聞こえてきそうな方である。
今度の話をしたら、なんておっしゃるかなあ・・・?
よく言われることがある、決して相手の人が悪者にならないように、自分の独断に陥らないように人に話しても、その話、どこが先生悪いんですか?と聞き返されてもまだ私は、自分に悪いところがなかったかチェックする・・・・。
というのは、最近嘘で、結構、最近は慣れてきて、そうやなあ、どう考えても私が悪いわけではないよな、と思っている。
ただ、やはり原則、というのは、どういうことにも、はっきりさせないとダメだなあ、と思っている、例外は、原則がしっかりしていて、例外のための根拠があってのことだから・・・。
なんにせよ、経験というものは大事です。振る舞い方がわかるからねっ!