理不尽で不測の事態ー対応の仕方
人生には 今回の受験期のコロナウイルス発生のように、というか、もしかしたらもっとひどく理不尽で、不測の事態に直面することがある。
なんで?この時期?と正直思う。
自分だけではなく、たくさんの人に関わる事ならば、それなりに納得もできるかもしれない。
けれど。本当に自分だけ、なんでこういうことに見舞われるのか?と言いたくなるような事件に巻き込まれることもある。
事柄の場合もある、誰かの感情に絡んでもこともある。
自分だって自分の感情をしっかりわかっているわけではないから、人の感情なんて、わかるはずなんてない。
その立場になったら、仕方がないかもなあ、とか、自分ならどうするか・・・?というせいぜい憶測でしか考えられない。
ただ一つ、絶対に操作できるものがある。
自分の意志である。
状況に不足、不満をもち続けることもできる。
まあ、これが一般的なあり方かもしれない。
腹が立つし、どうしようもないし・・・。
でも、腹を立てたり、不足を想ってばかりしていたら、感情が増幅するだけで、結果、事態は悪くなっても、つまりは自分の足を引っ張ってしまうだけになってしまう。
不測の事態は、あっち側。
自分の意志はこっち側。
操作できるのはこっち側だけ。というより効率がいいのはこっち側を操作すること。
思い方を変える。
起こったことは、仕方がない。
だから、自分をこれ以上腹を立てずに冷静に対処できるよう、自分を操作する。
目の前の、できることだけをするのである。
受験期であれば、この時期に学校がお休みだなんて!と怒るのではなくて、怒ってもいいけど、そのままにするのではなくて、自分の心をなだめて、目の前の、自分の苦手とするところの確認や演習を、今まで通りできるだけ平静でいられるように、淡々と続けるのである。
文句を言っても、事態は変わらないから。
人の都合や感情が入ったことをどうにかしようとするのは至難の業。
ならば、自分の方で、できることだけをする。
かく言う私だって、この時期は平静ではいられない。
まして、人の感情などが入ってきたら、どうしよう・・・?となってしまうことだってある。
そんな時、何をするか?
自分の機嫌を取る。
というか、考え方を変える。
所詮自分の人生は自分でしか責任が取れない。
間違っていると言われたとしても、反対に自分が間違ってると思って反対しても、変えられることなんて、めったにない。それを自分がどうにかできると考える方が傲慢だと思う。
実は先日、ZOOMというテレビ会議の形式で、講座を受講していた。
その二日前には、ZOOMで哲学カフェに参加していた。
哲学カフェでは、和やかに楽しかったー!で終わったのに、受講している講座の方は、なんだか咎められているような、なんだか落ち着かない思いが残った。
なんで?
と考えてみた。
一つ
宿題の提出が、間に合ってなかった、というより、受験期なので、行うべきワークができていなかった。だから、ちょっと後ろめたい気持ちで、どうにかつなげて、宿題を作成した。けど、論点がズレまくっているのはわかっていたし、何より、その提出する段になって、送る方法がわからなくて困った。結局指示とは違う方法で提出した。
だから、先生の質問の一言一言が、咎められているように感じてしまった。
でも、どこかで、このどうしようもない受験期に、なんとか宿題を提出したんだ、と、どこかで自分に言い訳していた。
かと言って、欠席するほどの勇気もなければ、また、ここで、しっかり仕上げていなくても、欠席してしまったら、また、忙しさを理由に、ずるずると講座から脱落してしまいそうで、とにかく宿題を提出し、出席した。
要するに、自分を責めていたのである。
だから、言い訳と、罪悪感とないまぜになって、どこかで心が荒んでいた。
教えられたことは、ずべて実行していることではある。でも、なにせ素直に聞けなかったのである。
二つ
そのお昼間に、ちょっと引っかかることがあった。
要するに、自分側の都合を、こちら側のこととして語られてしまったのである。
よくある話。本当に。
よほど潔い人でなければ、自分のせいにするより、相手のせいにする方が楽だから・・・。
仕事に絡んだ、生徒さんの成績が、とかいう話ではないけれど。
私はこういうのは好きではない。
率直に、これこれしかじかのことがあるから、○○したい、というのであればいいけれど、話していれば、因果関係のない話だということは感じられる。
それだって、その相手の問題。私の問題ではないのである。事柄は、結果的に帰着点が同じだから。
ただ、私は、率直で、正直なのが好きかもしれない。大人ではないかもしれないけれど・・・。
三つ
その日は多忙を極めていた。
午前中に、一つZOOMでの講座。そちらでは、一対一なので、いつも、「今一番忙しい時期ですか?」と聞いていただけるので、ああ、理解していただいている、と思う。でも、結局、「私、何か、できていないことなかったですか?」と聞いているのだから。結局自分の問題である。
それから、実務のために走り回って、あれこれ。そして、あとの講座があったのだ。神経使う仕事の後に講座だったから、タイミングもよくなかった。
完璧主義はよくない。つい仕事を入れてしまっていた。
もちろん、この時期、体力的にも精神的にも、一年のうちで、一番きつい時期である。
だからと言って、ほかのことに影響させるのは責任を果たせていない。
すべて自分の責任。
感じ方も自分の責任。
ということで、自分の傾向を知ってしまったというお話。