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反対のこと・・・。


先日、落ち込みかけたことが、私には、一週間で、尊敬するべきことに変化し、そんな話を件のオッパとした。

出来事には二面性がある。

先日、稲盛和夫さんと山中伸弥先生の対談集を読んでいた(そういえば稲盛さんの本も数冊衝動買いし、さっさと読んでしまった。だって、面白いんだもーん!)。

その本の中にではなかったのだろうけれど、稲盛さんも、若い頃、「若い頃の苦労は買ってんでんせえ!」という親御さんに、「若いときの苦労なんか、売ってんでもせん!」と言い返すような、きかん気の少年だったらしい。

親は子供に、やはり苦労はさせたくないと思ってしまう。その苦労をわざわざさせようとする親御さんはいらっしゃらないにしても、せいぜい、仕方がなく、させる苦労ぐらいしか、心情的には与えられないのが、親、というものであろう。たとえ、苦労が、わが子を成長させてくれると、こころから信じたとしても。

昨日は、既卒生で、社会人経験のある方の新入塾の手続きをした。

生徒さんと話しているとき、胸ふさがれるような話をお聞きすることだってある。

ある仕事に就いて、何年にもなるお嬢さんの話をしていた。

単純な作業をコツコツと、毎日倦まずたゆまず続けておられる。時給なんて、本当に少ないだろう。でも、それが自分の仕事、この年だから、時給が低いのは当たり前、と考えておられるようだった。

私は思わす、「私にはできない。もっと時給が高い、手っ取り早い仕事に就こうなどと思わすに、それを何年も何年も、辞めずに続けておられることに、私は、えらいと思うし、尊敬もしています。」というお話をしていた。

うら若い乙女が、今時そんな仕事を続けるということがえらい。どういう風にして、そんな精神性を身につけられたのだろう?

先生もおっしゃった。「僕も尊敬します。そういう仕事を、続けている人を。いや、ほんま。」

すごい専門職の先生と、一応、専門職になるのかな?に就いてる私の会話。

二人とも本音中の本音だということが、今までのお付き合いの中でのやり取りからわかる。

そうして、どんな仕事も誠意をもって、丁寧にしている人には、必ず未来が拓けてくる。

それは、稲盛さんの言葉からも、山中先生の言葉からも、そうして、かつて外交官をなさっていた、外務省事務次官の先生のお話の中からも納得できた。

仕事から得られる精神性が、その場と合わなくなった時、次のステップに行くことになる。

誠を込めて、仕事をすること。それは、生業、と言う意味での仕事でもそうだろうし、PTAや、地域の仕事でも、なんだったら、家事の中でも、家族の成員としての役割を果たそうとすることからでもあり得る。

一生懸命仕事をすることって、いいことだ、と思う。

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