痛むということ
日曜日の夜の団欒じゃないか?という説もありながら、楽しい個別指導の風景。
このメンバーに助けられながら、それでも私はこの夏、結構痛んでいたかもしれない、としっかり自覚した。
誰も私を責めないし、先生悪くなんかないですよ、むしろ被害者、なんて言われながら、そうして、おそらくは自分ではどうすることもできないことを何とかしようとして、頑張っていたのだなあと思う。
疲れていたのは知っていたけれど、そうして、より皆様のお役に立ちたくて、新しく、教室の活動から派生して始める仕事も始動し始めてはいるのだけれど、昨日は、とうとうお休みを頂いた。
一日、ゆっくりと休んで、ああ、痛んでいたなあ、と思った。精神的に。
新卒で勤めた学校では、自分の力に限界があることを認めることを徹底的に教えられた。ここまで、という限界を、教師が持たなければ、ほかの生徒の指導に手を抜くことになるし、何より自分が潰れてしまうから、と。
が、しかし、独立してみると、やはり、何とかしたくなってしまうのである。でも、いつもそんな私を戒めてくれたり、慰めてくれたり、先生、ちっとも悪くないですよ、と言ってくださる方が現れる。
私は恵まれているといつも思う。ついついやってしまうのは悪い癖である。というか、できるんじゃないか、と思ってしまうのは、教師としての傲慢さである。
とはいえ、生徒さんたちは、だんだん伸びてきている。
別に教室としては、なんの問題もないのである。
ただ、勝手に私が、自分の限界に挑戦!みたいなことをしていただけのことである。精神的に。物理的にではなく。
O先生の影響を受けて、勝手に新しい趣味を、しかも負担にならない分野に進出しようかなあ、なんて思っている。身体を動かすことだし、年に何回かしか参加しなくて良さそうだし、初心者でもできそうだし、気晴らし兼ねての旅行もできそうだし・・・。全然違う分野のお友達もできそうだし、一人で勝手にできそうだし・・・。
今日、O先生がいらっしゃったら、ご存じかお聞きしてみたい。