数学と物理
昨日、中三クラスで、理系の指導をする傍ら、彼らの許可を得て、私は、高1物理基礎と格闘していた。
本当に面白い教室だと思うが、こういう、お互いにお互いの勉強につながることに、誰も不満をもたない。なぜなら、みんな、それぞれに自分自身が大変なときは、私がそのときに大変な子に時間を割くことを知っているからである。高1の生徒の課題を仕上げるのに必死になりながら、因数分解を教えて、演習中に、物理の解説をしていた。
M先生に電話してもつながらなくて、O先生は、そもそも自宅が遠いので、すぐに駆け付けてはいただけないが、メールでも、電話でもわからないところがあったら、聞いてくださるということで、電話で、はっきりしないところはお聞きして、何とかなったから、嬉しかった。
今日は、M先生の、数学の微分の指導を、(私が)受けていた。
私自身が指導することもあるし、そのためでもあるけれど、私の勉強のためでもある。
M先生が帰国されて、すぐに初回の指導を受けて、今日、二回目。なんだか数学の理論が少しわかりかけてきた。
高校時代、公式に当てはめるのだけが精一杯だったけど、ちょっと理解できてきたかなあ、という感じである。
途中、自習に来た子は、きっと、指導を受けている私を見るのは初めてで、ちょっと驚いていたのではないかと思う。
年と共に、頭の働きが鈍くなるという説もあるけれど、私の場合は、若いときよりも理解力のほうは、少し増してきた感じがする。というより、高校時代は、理論まで考える時間がなくて、公式だけで解こうとしていたからかもしれない。
数学は、最晩年、おばちゃんになったら、取り組もうと思っていた。でも、縁があって、かなり早くやり始めることになった。
二年ほど前に、数学の授業を受ける機会があって、やってみたくなったのである。
中三数学や、高1の数学を教えていて思うのだけれど、しょせん、自分のものにするには、やはり、正確に解き切るだけの演習量がいると思う。
最近は中三クラスと中二クラスの数学の時間には、私は鬼と化し、「数学は、演習して、正確に解けて、なんぼ!」と叫んでいる。
数学というのは、物事をきちんと丁寧に積んでいくことの大切さを、一番教えてくれる教科ではないかと思う。だから、中学時代は、数学が、とても好きだった。
これから、微分と積分の演習に取り組まなくては・・・。