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信じるということ


私は、基本的に生徒さんのことは、自分の担当させていただいた生徒さんのことは、信頼するように努めている。そうして、いつもM先生にからかわれ気味だけれど(つまりは愛しすぎって?)、生徒さんたちを愛するようにしている。

愛には、決意がいる。愛し抜こうと、何があっても愛そうとしなければならない。自分が縁あって出会った人を愛し、その人の内面ー能力や性質を最大限発揮できるよう、サポートしていくのが、教育というものだと思う。

愛情過多なきらいもあるかもしれないけれど、いろんな環境の中で、精一杯生きているというだけで、その子の人生は尊敬に値する。ただ、何があっても、曲がっていったり、人の道からそれてもいいというわけはない。

人から信頼され、深く深く愛されたら、曲がろうったって、曲がってはいけないだろうし、自分を信じてくれる人間を裏切りたくない、考えるのが、普通の人間だろう。育っていくには、いろいろな要因があるにしても。

だから、信じたい。私のところに来てくれている子たちのことは、信じたいし、愛したい。

ただ、自分さえ良ければいい、とか、人のことはどうでもいい、傷つけてもいい、という姿勢が見えたときは、心の底から

怒る。

たぶん、人を大切にした分だけ大切にされ、愛した分だけ愛されるのだろう。

周りの人の姿は、自分の行いのバロメーターかもしれない。

若い自分を振り返っても、人の気も知らず、知らないうちに人を粗末にするようなこともしていたんだろうなあ。

なんて考えるのは、ある意味年を取った証拠でもあるのだけれど、年を重ねるのは、悪いことではないと思う。

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