個別具体と抽象論
大学を出たての頃は、もちろんよくあるように、頭でっかちだった私。
勤めた高校では、いろいろ奥様方がお手伝いに来られていて、教師、として、職員室や教室で鍛えていただきながら、なんだか女性として、あるいは子育ての仕方なども教えていただいていた。まあ、お得な職場だったわけで。笑
そりゃあ、こちらとしては、教師として育ちたいわけで、めちゃくちゃ面倒くさい面もあったのだけれど、あれこれ教えてくださる人がいらっしゃった。奥様になられた、かつては国語の先生で、とんでもなく優秀な先輩もいらした。電話で、いろいろ教えてくださったりもした。
そのなかで、何度も登場している小学校の校長先生の奥様は、旦那様が、文学好きでなものだから、ご自分を通して、あれこれ文学少女?の私を指導してくださること、指導してくださること。
その中に、それは先生と奥様のどちらから、と言うのでもなく、教育活動と、子育てと、ご夫婦としての成長のすべてから学ばれたものだったのだろう、すべてを掛けて教えてくださったことがあった。
それは、教育は、事柄ではない。個別具体なものなんだ、ということだった。
先生は、本当に優秀な方だったから、それはそれは観念に向かわれていた時期もあったとお伺いしていた。当然、学問的には、面白い話を、間接的にではあるがよくお聞きした。大好きだったドストエフスキーについて、ベルグソンの『笑い』について、などなど、先生ご自身が尊敬されている先輩の先生とお話された話を、私にも振ってくださった。挙句に、「文学を愛する者同士として、また話しましょう!」何て言ってくださって、私は嬉しかった。
時は移り、現在の私。
何かと話を大きくするM先生相手に、「いいやん、目の前の私たちの生徒にしてあげられる一つのことから工夫すれば・・・。」と言っている。「まあ、賢い人は、何かに、話がおおきくなるねんな!」などと笑いながら。
昨日は、中学校の英語の教科書を見て、ああ、これは・・・、ということに気付いた私のコメントからだった。
本来、私は実力を養成したくて(大学受験の場合は大半の仕事になる)、あまり、学校の授業について、どうのこうの、と言いたくないし、実力を養成しておけば、本来、学校のテストでも点数が取れるはずなのである。が、しかし・・・。
中学生の場合、内申、と言う点から、定期テストでも点数を取っていただかなかなくてはならないし、でも、どうも、英語の文法を教えていても、なんだか学校の進度と話が違ってくる。教科書準拠で、文法にも力を入れたテキストを使用しているにも関わらず。また、実力養成用のテキストを使うと、地元の中学校ではまだ習っていたいところから始めることになるので、教科書を再検討することにしたのである。
私が迂闊だったのだけれど・・・。
be動詞の前に、一般動詞を習っているのである。
中学校一年生の場合、大体が、どこかで英語を習ってこられているので、あまり今まで問題にする必要もなかったのであるが、あるとき、この会話表現を、ここで入れると、余計に文法的に頭がこんがらがってしまわないか、と考えたことがあった。そんなことが、検討してみるとたくさんある。
それで、中学校の教科書の内容を洗い出すことにしたのである。
「見てよ。ここで、この表現入れたら、混乱しない?」
英語の専門家であるM先生に振ってみた。
「しかも、be動詞が出てくるの、こんな後になるわけ?」
つまりSVCの文型が、すごく後になって出てきている。
なんだか高校生の文型に対する理解が、入りにくい気がしていたが、彼らが使用してきた教科書自体、補語が何か、非常に理解しにくくなっているのではないだろうか?
一方、willと be going to の意味の使い分けなどをし出した、と、かつての予備校の先輩は指摘されていた。
でも、それは高校の段階でもいいかもしれないし、やるのなら、深くやるとか・・・。
などと考えていたら、「日本の教育は・・・。」とまたM氏が言い出したので、「またまた、話を大きくして・・・。」と笑っていたのである。私は、目の前にいる生徒たちに、どうしたら、英語が楽しくなって、勉強する意欲になるか、分かりやすくなるかを考えていたのである。
でも、M先生の話の中で、面白い指摘があった。
アメリカでは、文法教育が、結構しっかりなされているらしい。移民の人がいたりして、結構会話はバラバラだから、だからこそ文法教育は、かっちりしているらしく・・・。
そこからまた私は考えてしまった。
国語も工夫のしようがないかなあって。
かつて先輩と話していたのだけれど、国語の国語学教育をもっと専門的にやりたいと思う。
古典文法なんて、めちゃくちゃ面白いのに、だとすれば、口語文法だって、本来面白いもののはずで・・・。
古典文法なら、割と短期間で、頭に入れていただける自信がある。というか経験がある。
古典文法の法則性なんて、めちゃくちゃいわゆる「理屈やなあー。」の世界である。非常に論理的ではないか。
英語もそうだけれど、日本語の、古語の語源を理解すれば、古語を丸暗記、みたいなことも、最小限で抑えられる。大体センター試験からして、古語の意味を真正面から訊いてくれるほどあまくはないし、かと言って基本に忠実でなければ、失点する。
テストなんて、勉強するきっかけであって、本来、その勉強の中身って、楽しいものなんだけど、違うかなあ・・・。私は甘いのかしらん?
点数を追うのも重要なことだけれど、それよりなにより、勉強のプロセスが面白くて、面白いからのめっているうちに、それが質量ともに加速して、成績が上がるっていうのが、あらまほしいあり方ではないだろうか・・・。
だって、主婦になろうが、仕事に就こうが、毎日のやるべきことが、面白くなかったら、楽しくないだろう。
面白くなるまで工夫するっていうのがいいなあ。
今日は、自分自身をとっても甘やかして、お昼にエビフライを食べに行き、そこのカフェで読んだ、雑誌の梅雨の時期のお掃除の仕方とお酢を使ったお料理のレシピが気に入り、なんとそれもバックナンバーだったから、どこにも売っていなかったけれど、なんだかやる気をいただいたりして・・・。そうしてチーズタルトとピーチヨーグルトのおやつ。お昼寝もして、ちょっと元気が出てきた。
だから、あれこれ考えだした。いろいろな指導法の工夫。
最近、ちょっと疲れていた。疲れると、考え方がマイナスの方向に行きがちだから、ちょっと甘やかしてみた。