原田マハー『リーチ先生』を読んで


夏期講習中に、U先生にお任せして、午後からお休みをいただくことのできた日に、原田マハさんの『リーチ先生』を読みました。

この作品との出会いは、なんと一昨年だったかの、富山県立入試の国語の文学的文章からのものでした。

その昔、こんなこと言ったら、国語が苦手だったり、嫌いだったりする人からは顰蹙を買いそうですが、中学時代も、高校時代も、まあ、言ってみれば、入試も含めて、実力テストは、新しい文章と出会う、楽しい時間でしかありませんでした。次は何が来るだろう・・・?そんな思いで、定期考査とは違って、新しい文章との出会いに、それこそ心ときめかせていました。

文章の中の人との出会いは、正直楽です。

だって、相手は現実には何にもしてこないから。

それに比べれば、現実の中にいる人は、私の心を乱すようなことをたくさんしてくれます・・・。

だなんて、それはお互い様なんだけれど、迷惑かけられている自分と、逆に迷惑かけている自分というものを極端から極端に考えて、被害者意識をもってみたり、自責の念に駆られてみたり、若いころはなかなかに忙しいものでした。

久しぶりに、あ、これ!と思って、アマゾンで買ったのに、最初の数ページで、文学の方の作品は読めなくなっていました。

違う分野の本も、少しは読んでいましたが、今年の、受験期があり、春期講習があり、そしてコロナのための学校の休校期間があり、なかなかいつものようにはいかなかったのは事実です。

そんな中、夏期講習が始まる前の、片付けや掃除の効果か、ずいぶんと気持ちが楽になったのか、ふと読めるような気がして、休暇をいただいたその夜に、読了することができました。

読了、なんて、なんだかこの作品に、失礼な熟語のような気がする・・・。(笑)

浜田マハさんは、美術に詳しい、かつてはキュレーターをされていたような方だということを、女性雑誌で知っていました。

最初、小説にしては、軽いタッチなので、正直、これからどうなるのだろう・・・?と思うほどでした。

しかし、本当に深いことは、意外に平易に表現されていることが多いようことの証左のように、深い作品でした。

深いと言っても、決して暗い作品ではありません。でも、一般的な不幸や辛さが描かれていないかと言うと、それは十分に、登場人物たちは、しんどい想いもしているのです。

主人公の、沖亀之助の生まれた時代がそうさせたのか、ほとんど孤児の彼は、人を羨ましいと思うことはあっても、境遇を恨むどころか、自分の幸運をときどき驚きの目で見つめるような人間です。

芸術界で、日の目の当たるところにいる人間のそばにいて、その功績を目の当たりにしながら、嫉妬するようなことがない。人を慕って、師を敬って、そうして、辛い別れも自ら進んで受け入れ、一番縁の下の力持ち的な仕事を淡々とこなしていきます。

明治期に来日したイギリス人陶芸家、バーナード・リーチ。

この人は実在した人物ですが、主人公の、沖亀之助とその息子沖高市は全くの架空の人物だそうです。父が慕い、ともに頼りにしていたリーチ先生のことを息子には一言も話さなかったのに、亀之助が死んだ後に、リーチ先生と高市は、まるで父が結んだ縁が引き寄せるように出会います。しかも父の素養を引き継いだ、そのために授けられた大役を通して・・・。

父亀之助の、誰に知られなくともよい、自分の芸術を追求したい、そんな思いが、息子高市の業績や生きざまに現れているような気がしてなりません。

不思議なことに、亀之助、高市親子の会話は、まったく作品の中には出てこないのです。

それなのに、亀之助ーカメちゃんの人柄の良さが、全編に感じられていて、本当に素晴らしいリーチ先生の人柄さえもある意味片隅に追いやられるほどの、彼の雰囲気が全編に漂っています。

バーナード・リーチの偉業を借りて、沖亀之助という人物を描きたかったのだろうな、と思わされる作品でした。

その、一番素敵な、リーチ先生とカメちゃんの初めての素敵な会話の部分が、富山県立入試の出題されました。

入試でも何でもいいから、もちろん、点数を取っていただくのが、私たちの仕事ですが、それでも、ここからでも、何かを感じ取ってもらうことができたなら、と思っているのです。

この作品は、親御さんに知っていただきたい作品です。

ぜひ次回の、保護者の方への、国語の講座で語ってみたい作品です。

意外に大学入試でも通用するような気がします。

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