考えさせられたこと―愛の伝え方


私は、今、苦しんでいることがあります。

何か?

本当に子供っぽいことを言います。

ある人からの自分への愛が響かなくて困っているのです。

いえ、相手は恋の相手、ではありません。

相手は、あなたのことを想ってきた、と言います。

というか、言い張ります。

でも、届かないのです。さっぱり。

一方、同じ関係の人に対して、私は、本当に愛情をかけてきたと思うのです。

寒い日、雨の中を帰ってきたら、ココアを入れて、今日は○○だから、○○してあげて・・・。

学校に入れる、とか、○○にお金を掛けた、とかではなくて、勉強しているときに、ちょっと飲み物を入れてあげる、とか、ちょっと大好きなものを作ってあげるとか・・・。

愛情の掛け方が違うといえば、そうなのかもしれないけれど、そんな日々の、小さな温かさに、人って愛情を感じるものなのだと思うのです。

あなたのためだから、勉強しておきなさい、と言っても、ピン!とは来なくても、甘い香りのクッキーや、温かいココア、そんなものに癒されることがあると思うのです。

だからかな、教室の二階の自習室にチェリー・カフェを作って、生徒たちが嬉しそうに飲み物を飲んでいる姿が好きなのは・・・。

お金を掛けました、というのは、ちょっと目に見えにくいかもしれません。形に見えるものではないから・・・。

でも、ちょっと疲れたときに、何かを作っておいてくれた、作ってもらえなくても、ちょっと買っておいてくれた、そんなところに、ちょっとした愛情を感じるんじゃないかなあ、と思ってしまいます。

年甲斐もなく駄々っ子しているようですが・・・。

母が、わりと知的な人で、理屈屋さんだったから、私は妹にも、理屈じゃなくて、○○してほしいんじゃないかな、ということをしてあげていたし、そう、ちょっとした可愛いプレゼントをあげたり、職場から帰って、年末年始らしい食事を作ってあげたり、子どもたちにも寒い朝には温かいもの、寒い日に帰ってきたら、温かいおやつ、たしかに、愛情が届きやすいことをしていました。(いやいや、誤解のないように言っておきますが、母は、お料理にしろ、いろんなことにしろ、本当に研究熱心な人です。マドレーヌを作り出したら、一週間作っているような・・・。)

だからかな、子どもたちも、校外学習や、学習発表会などでも、絶対に家族分、お土産を買ってきていました。ときには、自分のものを買わずに、家族分お土産を買ってきていました。

しかもおかしいのは、富山にいて、パパは金沢で仕事をしているのに、土日に帰ってくるパパのために、金沢の兼六園で、パパへのお土産を買ってきたときには、なんとも、間抜けな可愛さで、でも、こうやって、人は人への気持ちを表すのかもしれないなあ、と思ったのです。

こう書いてみると、半年抵抗し続けていたような、夏に初めてお目にかかった先生の、私のことを表現された、おかん的スタンス、という表現は、私の性格や想いにバッチリ合っていそうです。

私は、勇ましく、大学受験組を引っ張っているつもり、というか事実そうなのですが、予備校講師が、そう、勇まし気な予備校講師が、まさか、おかん的、と表現されるとは、と、どうしても納得がいかなくて、困っていたのでした・・・。

あんた、何やってんのん!アホやなあ・・・、と言いながら、世話を焼きながら、受験まで引っ張っていくのが合っていそうです。

先生は、先日、ちょうど、「愛の伝え方」について語っておられましたが、そして、それは、男女の愛についてでしたが、私はちょっと変形して、親子であったり、教師と生徒であったり、として考えさせられました。

今、受験生が、国公立二次試験から帰ってきて、中期、後期に向けて、頑張っています。

昨日、送り出すとき、私ったら、ウルウルになっていました。

なんとか合格してほしい・・・。

今まで頑張ってきたことが、どうか、本番で発揮できますように・・・。

ちゃんと笑顔で帰ってきました。

そうして、もうはや、次の試験に向けて頑張っています。

で、気づいたのです。この子たち、愛情いっぱい掛けて、育ててきたなあ、と。

よく、息子のときのママ友が、「愛情いっぱいやねえ・・・。」と表現してくれました。

おやつを作って、手作りのコートを着せて、手編みのマフラーをさせて。

本人たちにどう伝わっているのかはわかりません。

ただ、息子が、友達に、私の料理がおいしいと自慢してくれていたこと、手作りのお洋服を先生に見せに行っていたことは知っています。

伝わってるかどうかはわからない。

でも、今より若かった私が、時間のある限り、仕事の合間に、彼らに、精一杯のことをしてきた、という温かい想いだけは胸の中に残っています。愛情が伝わるように、形であらわしていたよなあ、と思うのです。

自己実現のために働いている、と言っても、母親が働くのは、少しでも子供たちに、何かしてやりたいから、というのが大きい。それが自分の好きな、あるいは今までの自分の経歴が行かされた仕事ならば、確かにやりがいは大きい。でも、彼らが幼い頃、高校に勤めていたときの私は、ピアノのレッスンの帰りに、おいしいソフトクリームを食べさせてあげたかったし、娘に可愛いお洋服を買ってあげたかったのです。

ピアノの先生をしている友人の前で、息子が、「ママは、自己実現のためにはたらいてるんやよ・・・。」と言ったとき、「違うよ。お母さんは、みんなにおいしいもの食べさせたり、何か買ってあげたりするために仕事しとるんやよ。」と言ってくれた時には泣けてきました。自己実現だ、と表現するのも愛情の一つです。

教室に来させてくださっている親御さんが、最終的にもう一押し、というとき、あるいは、受験校決定のときに、お母さまが、なんとかしようとされるとき、おもわず共感してしまう自分がいます。

こう書いていると、やっぱり、どうも、母親的スタンスで、教室を運営しているようです・・・。

抵抗やめよう・・・。

愛情にも伝え方がある、と考えさせられて、自ずと伝わり方を考えていた自分に気づきました。

男性に、とならないところが私らしい・・・、かな?

いえいえ、バナナのグラタンを研究してみたり、シナモンの入った、ミルク・ラテ、など、おいしいものをたくさんつくりました!(笑)

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