嬉しいいただきもの
先日、素敵なバッグをいただいた。
持ちやすくて、素敵なデザインである。
このバッグには、いろいろ思い出さされる要素があった。
その昔、妹が就職した年に、勤めている学校から実家に帰省した折、妹の部屋に素敵な皮のバッグがあった。「このバッグ、素敵やん・・・。」と言ったら、妹は、なんでも就職祝いに、お母さんから、バッグを買ってあげると約束されていたらしく、就職祝いに買ってもらったらしい・・・。
ふーん。やっぱり妹の方が可愛いねんなあ・・・、と思っていた。
私は高校教員、妹は会社勤め。私など、学校の寮から、学校まで5分歩くところに通勤していたから、そんな素敵なバッグなど必要もない。だから、別に気にも留めなかった。
しかし、自分が親になってみると、些細なところでも、公平、ということに気を配っていたことに気付く。
もし、重きを置くなら、長幼の序よろしく、上の子を厚くした。
自分の勤めている学校では、年長者から厚くしないと秩序が壊れる、という考えがあったから、先輩は先輩だった。
うちで、何かをわけるとき、子どもたちは、年長の子どもから選ぶ権利があることを徹底的に知っていた。子どもたちのお友達まで・・・。
教室でもそうである。学力や通っている学校で、立てたり、粗末にしたりはしない。
ただ、上級生か下級生かだけで、態度が変わる。
それから、誠実さは、徹底的に評価する。
どうも私が、誠実さを愛していることを生徒たちは、知り尽くしているようで・・・。
いまどき、流行らないかな・・・。
実家では、よく使われるのも私、怒られるのも私。一番勉強したのも私だった。
しっかり者の、反抗的な娘(そう定義されていた。しかし、いざというときは、あれこれ行動するのも私。)は、世間では、どうもちょっと抜けている、あんまり色気のない、どちらかと言えば構われる方で、いまだ、皆様にいろいろお世話になっている。
先日もいろいろと気を配っていただいて、嬉しかった。
仕事がわたしのイメージを歪めている面があるのではないか?と思われるほど、私は、放っておけないタイプらしく、あれこれあちこちからお世話されている。
ご近所の方々も、仕事の時間帯の面から、自治会での分担について、あれこれ配慮してくださっている。ありがたいなあ、と思っているのである。
実家では、素直な娘ではないようだったけれど、世間では、よく、素直だからなあ、とか、人をすぐ信じるから、とか、全く評価が違った。
いいじゃない。そうやってたくさん優しくしてくださる人や友人がいるし、それよりなにより、今まで世に送り出した生徒が、世の中で、たくさん活躍してくれているのだから・・・。
ときおり、今までの教え子に、その専門分野やかつての受験生時代の勉強法などを教えてもらったりしている。
先生~、と言われながら、あれやっとかんなんよ、これはどうなってるの?といろいろ保護者の方々からもアドバイスをいただいたり、生徒からもあれこれ言ってもらったりしてる。
教科指導では負けないけれど、そうして受験は、一応、素直に言っていることを聞いていただければ、なんとかなるようにはなっているようだけれど、案外いろんな人のお世話になっている。
最近、大阪の両親のことがあって、どこかで気が張っていたなあ、自分がしっかりしなくちゃ、と遠いのだけれど、いろいろそれなりに肩にかかっていたのだと思う。
先日、父が亡くなって思った。
若い頃も含めて、あれ以上はできなかった。私の精一杯だった。だから私は私を、娘としてちゃんと認めてあげようと思うのである。