後悔・・・。
ゴールデンウイークの後半に、今なら行ける!と思い立ち、スケジュール調整をして、大阪の実家に帰ってきた。
思い付いたのが土曜日の朝。高岡駅から出発した。
思えば、雷鳥時代から、サンダーバードにはお世話になってきた。
大阪から、当時の彼に会いに、雷鳥に乗った。教員時代。
時間をやりくりする、という点では、大阪から金沢か、高岡から大阪か、の違いがあるだけで、それは慌ただしい行程には違いがない。
そんな中で、今でも思い出すと、胸がチクッとする思い出が二つある。
ひとつは、大阪から、お隣に座った年配の女性だった。
福井の方らしかった。なんでも貴金属など、高価な、とても誰かに気安く頼めないものを運ぶお仕事をしていらしたようであった。旦那様が病床にいらして、男のお子さん二人が、誰が聞いても知っている大学に進学され、お二人とも教員になり、お兄さんの方は、家業を継ぐために教員を辞めたのだと、ご自分の子育てを、幾分誇らしそうに話していらした。
その時に言ってくださった言葉。子供は、自分でこけさせないとダメ。親が手を出したら、生きる力をなくしてしまうから・・・。自分で立ち上がらせなくては・・・。
今なら、ウソもつけただろう・・・。
ポロシャツにパンツルックという、いかにもおしゃれっ気のない服装で、とても彼氏に会いに行く、という恰好ではなかった私に、「お姉ちゃんは学生さん?」と訊かれた。
正直に、正直に、「高校の教員をしております。」と答えてしまった。それまでのその方の誇らしい話の腰を折って、何と幼い自分だったのだろうと、今反省している。
ときは移り、お腹に娘がいるころ、里帰りからの帰りの列車に乗っていた。隣の、品のいい、高齢のおばさまが、話しかけてこられた。一生独身で、どちらかというと山間部にお住まいで、とても気楽に暮らしていらっしゃることを話された。弟さんが、京都でも有名な私大の学長さんをされていると誇らしげに話していらした。
周りの人たちも、大阪から来た、若い妊婦に、「奥さん、奥さん。」と話しかけてくださった。
私は、サンダーバードで、誰とも話さずに、道中を過ごすことの方が少ない。
その方たちが話しかけて来られるのに対応していたら、お隣のおばさまが、お聞きになった。「奥さんは、旦那さんとお二人?」また、そこで、本当のことを言ってしまった。「いえ、両親と同居です。」
その後、その方が、なんとなく静かになってしまわれて、申し訳なくなったのを覚えている。
もし、自慢話だとしたら、それはそれで聞かせていただければいい、と当時も思っていた。けど、変に正直なのである。
なんで、あの時、「そうです・・・。」と言えなかったのだろうか?
ただのあほやってんな、と思う。
人の痛みは、突かず、人の自慢話は聞いておけばいい。それで、自分を保てることもあると思う。
若かったなあ、あほやったなあ、と後悔しているのである。