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【面白い恋人】ー草津で買ったおみやげ


そりゃあ、私も面白い人好きやけど・・・。

最近、なぜか、かつての同級生や先輩たちがどうされているのか、ということが知りたくなって、わかる範囲で知ったことがある。多分、自分の生き方に、迷う、とまでは行かなくても、まあ、どうすべきか、と考えるヒントにしたいくらいの気持ちだったのだろうと思う。

長らく、私は、大学は好きだけど、高校は、あんまり、という感じを持っていたのに、最近は、母校を認めざるを得ないというか、れっきとした卒業生だなあ、という行動をしてしまい、仕方なく受け入れた面がある。

実は、消したい過去であった。

なんでか?

まあ、いろいろあった。

もしかしたら、大阪より京都が好きなのかもしれないし・・・。

などなどいろいろ考えていた。

最近、あれほど、弱点とは無縁、強さを誇っていた人に、こんなことが起こるんだなあ、と思わされたことがある。数年前にもそういうことを知った。受験、というレベルで語るなら、勝ってきた人たちばかりである。いわゆるエリート、ということにもなるだろう。

私は、人に何かあって、よかった、とは思えないから、「しっかりしてくださいよ!私に言ってたことは何だったんですか!?」と張り倒しに行きたくなった。私、先輩に、よう頑張ってるやんか、自分!って言ってもらいたくて、いつか再会したときに、絶対にそう言ってもらいたくて、一生懸命頑張ってきたんですよ!と言いたくなった。

強くあってほしかった、と思う反面、人生の中で起こる出来事が、どれほど人を成長させたり、味わい深いものにするかを、もう、十分すぎるほどに知っているから、きっと、若いうちに、人生の奥の深さを知る出来事と出会うか、それとも、それなりに年を重ねてから出会うかの違いなのかもしれないなあ、とも思っている。

そんななかで、大先輩が、それとなく励ましておられたことに、なんだか胸が温かくなった。

人って、ついつい自分が一番大変、って思ってしまう生き物なんじゃないかなあ、と反省した。

私は、結構、自分のことをするのに必死で、周りを見る余裕がない面が多いけど。

はっと気が付けば、大変なことをそれぞれ乗り越えていたんだなあ、と思ったりする。

目に見える大変さはわかりやすいけれど、目に見えない、内面の苦労は、本当にわかりにくいから。

ときおり、お母さま方からのご相談をお聴きするとき、ああ、みんな頑張っているんだなあ、と思うけれど、それこそ、順風満帆、弱さとは無縁であるかのように生きて来て、それこそ今だってそう思われているかもしれない人の大変さに接してみて、ああ、わが身ばかりが大変だと思ってはいけないなあ、と大阪時代を思い出していた。

人の辛さや悲しみを、わかる、というのは傲慢だけれど、理解しようと努めることも、ときにはそっと寄り添うことも、そうして、知らないふりすることも、また、近づかないようにすることさえも、それしかできない、という思いやりであるということもあるのだろうな、と思っている。

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