大学での講義
大学での授業。
社会科学系の分野。
先週、私は、厳密に言えば、間違ったことを言ってしまった。
始まりと終わりは合っているけれど、ものの考え方として、論理の道筋や理由の部分で、間違っていた。つまり、論理構成が違っていたということになる(要するに、途中で計算間違いして、正答になった、みたいな感じ?)。猛反省した一週間だった。
おかげで、そこは。話しておかなくてもいいかなあ、という、難しいことまで話さなければならなかったかが、わりにシンプルにお伝えすることができたように思う。
一度、間違えて、もう一度勉強しなおすと、また、説明の仕方を工夫すると、以前より格段にうまく伝えられるというものである。
教師としての真髄。
間違ったことを教えないように気をつけること。
間違ったら、即座に謝り、そうして正しいことを伝えること。
そうして、それは、思い切り痛い経験として、心の中に残る。
二度としない!という決意と共に。
人生の中で、何度もある失敗。
失敗はしてもいい。
どう立ち直るかが大切だ。
今日の授業で、学生から、少し、反論があった。
実生活に結びついた、というより、実生活を守るための科目であるので、当然、実生活上の話が出てくる。
ある仕事をしている人の、仕事への姿勢の話をしていた。それは、職業人として、どうかなあ、と思った場面に遭遇したという話であった。
私は、家族は究極の人間関係だと思っている。誰かが構築しようとして、一生懸命に壊す人がいたら、大変だけど。たぶん、そういう場合もあるだろうけど。
仕事は、自分を磨いてくれるものだと思っている。
仕事が自分に与えてくれる試練は、なにより自分を大きくしてくれるように思う。
そんな中で、私が話した、ある意味、おかしいよなあ、という発言に、学生が、今時、そういうのは当たり前にあるんじゃないですか?と言った。社会で問題になってますよ。なんて。
言ってもらってよかったと思う。
どちらが正しいとかではなくて。議論ができたことに対して嬉しかった。
なぜなら、自分の考えが、間違ってないか、あるいは、どこでどう論理構成しているのか、思考を鍛錬するのに、役立つからだ。
来週、彼に、何と言えるだろうか。
ひとつは、仕事から、何を学ぶか?という人生論的展開。
もう一つは、労働者としての、話に出てきた人の問題。
さらに、顧客としての私側からの問題。
結論的には、いくら道理が間違ってなくても、その言葉は、言ってはいけない、というところに落ち着いた。これは、顧客側と職業人としての観点から捉えているわけで。
でも、改善していかなくてはならないのも事実である。これは労働者をいかに守っていくか?という観点から。
さて、来週、この議論は発展するだろうか?
いやいや、私が解説しなければならないところが多いし、何より、その分野の佳境ともいえる面白いところなので、そんなこと忘れているに違いないけど。