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兄のこと。


一昨日の晩、授業が終わった後、夜行バスに乗って、大阪の実家まで帰ってきた。

兵庫県の西宮にいる妹は、彼女が運営している教室の時間割の関係上、どうしても来ることができなかったが、東京から珍しく兄が来てくれることになったからである。

この兄は、考えてみれば、ある意味、常識だけでは測れない面があった。若いころから。

若くして、フランス、イタリアなどヨーロッパに出掛けて修行を積み、料理の道を歩いてきた人である。堅物の父とは生き方が違う。

そのために、まあ、調整すべきことも、あれこれあったわけで、ここは私が行かなければ、話の場が暗くなっては、と、行かせていただくことにしたわけである。

夫がよく言ってくれたように、人間関係の調整役になることが多い私。

父と母だけだと、もしもなんか、また、超常識的なことを言い出して、おかしなことになりはしないかと、心配していた。

兄との連絡も私が取るようにしていた。

父の病状や現在の経過など。

兄が、朝、新幹線で東京を出る、と聞いて、到着時間と、実家への到着時間が違うので、ああ、何かあるな、と思っていた。

タクシーでやってくるという兄を、母と玄関先で、首を長くして待っていたら、兄が、私に、すぐさま、「これ。」と言って渡してくれたのが、お菓子だった。

久しぶりに会ってみると、以前はそうでもなかったのに、父にすごく似て来て、大笑いしてしまった。

兄がくれたお菓子は、パリに本店のあるお店のお菓子だった。

東京のお店はいくつかあるけれど、東京では新幹線に乗る時間には開いていないので、大阪にあるお店を探して、難波の高島屋で、わざわざ買ってきてくれたお菓子だった。

食べたことのないようなチョコレートムースとティラミス。私が、可愛くて、大好きな、でもなかなか高くて買えないマカロン。

お父さんとお母さんと兄と私の分、チョコレートムースとティラミスと二つずつ。

私は、兄の思いやりが嬉しくて、なんだかこころがほんわかした。

父も母も兄も、自分の心を表現するのが、正直思いっきり下手である。

そんな兄が、私たちへの想いを込めて選んでくれたお菓子。

母と私は、チョコレートムースとティラミスをはんぶんこして、いただいた。

本当は半分しか食べてはいけない父(病気の面から。)もペロッと(ペロッと食べていいというようなものだろうか?)、幾分軽めのティラミスを食べてしまった。

お菓子を作るときは、いつも、兄のことを思ってきた。

私もお菓子を作るのが大好きである。

あまり自分のことを話さない人なのに、今年大学一年になった姪っ子の話は、もうたくさん出てくる出てくる。

可愛がって可愛がって育てた一人娘。

両親の周りには、今、人生で、一番と言っていいほど華やかな孫たちがいる。

ああ、、この人の子育ては、決して厳しいものではなかったんだな。でも、彼女は、しっかりとパパの想いを受け止めて、素敵なお嬢さんに育っている。きっといつまでも兄を大切にしてくれるだろう。

経営の話も出た。

考えてみれば、いつの間にか、兄も私も妹も、一応経営者である。

あれこれ、こう思うんだよね、なんていろいろ教えてもらった。日本の将来についても。

いつも、時間がなくて、そんなにたくさん話すことができなかったけれど、今回は、半日一緒にいることができたから、生き方の話、経済の話、子どもたちの話、そうして、私が兄を想いながらお菓子修行をしてきた話などをした。

オーブンはどんなのが一番いいの?

お魚をさばくときの包丁は?

私の大好きなクレーム・ブリュレは、結構簡単だそうで、一つマスターしておけば、ピスタチオを入れても、チョコレートを入れても、いろいろできるから、やってみたらいいよ。ついでに、ガスバーナーがあると、いろいろできる、などと、教えてもらえた。

憧れのミルフィーユの作り方も。

みんなが楽しい時間を過ごせた。

ああ、いろいろそれぞれに乗り越えてきたんだなあ、と思った。

でも、やっぱり仕事がその人を作るのだと、仕事、というものの大きさを想った。

母は、兄が持ってきてくれたお菓子の箱や袋を大切にしまっておくのである。

母は、いただいたものの、それを選んでくれた人の想いや真心が大切で、その物に関わるものを捨てることができない。

私たちのために一生懸命に、調べて、買ってきてくれた真心が嬉しいと、何度も何度も言っていた。

父が病気で集まったのではあるけれど、それでも、ほのぼのと楽しい時間だった。

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