喜ぶということ
友人がくれたカップ💛
ちゃんとイニシャル入り。
このデザインを決めるまで、『お客様、上品に、上品にお願いします!』と何度も注意を受けたという、そうしてデザインがこれになったというカップ。
業者さんが来られて、愛用のこのカップを自分用にして、コーヒーを出すと、客用茶碗が、粗末に見えてしまう、とんでもなく存在感あるカップである。
仕事で使うことに決めた。
先日、若い女性の先生に、私がリフレッシュの方法を考えている、と言ったら、やっぱりピアノでしょう。それからお料理。私、絶対先生のお料理が食べたいんです!と言われて、すぐその気になる私は、以前よりマメにお料理をし出した。
仕事最優先の日々を過ごしてきた。
食事の時間が偏り、睡眠不足になると、私は太る。
先日から、太ったことを気にして、ダイエットの実施を目論んでいるが、そのダイエットに必需のフルーツが結構高くて、二の足を踏んでいる・・・、というのは言い訳に過ぎない。
ダイエットをしようと思ったら、それはそれで、集中力を要するし、意識も幾分そちらに行くし、先日、ようやく今年度の初の授業が大学で始まって、ようやく見通しができて来て、まあ、ねっ、ちょっとは自分の時間を持つように努力しようと、努力しているわけである。
教育に、必要なこと。
学んできたことを書き出せば、それは理論的には、方法論的にはいろいろあるが、周りが、その人、あるいはその子の存在や、その言動を喜んでいる、というのは、最大の教育になると思う。
例えば、私は、若い先生が言ってくれたことを即実行している。
ピアノを弾こうと楽譜とCDを購入し、それから、料理本を買って、ちょっとは軌道に乗せようと思い、そうして、私は、アドバイスを喜んで、実行しているのである。
それで、いいんだと思う。
だって、私は、彼女の言ってくれたことを喜んでいるのだから!
ああ、なんて単純な教育論であろうか!