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Never Give Up!ウインストン・チャーチル

先日休校の日の木曜日、夕方、金沢まで、車を飛ばして、映画を観に言って来た。

自分の運転で、金沢は行くこと自体が快挙だし、帰りは、高速にも自分で乗れた。ただし、ゲートで、かなり恥ずかしい質問もしてしまったけれど・・・。

そんな私にしては珍しく、勇気を出せたのは、どうしても観たかった映画のせいである。

『ウインストン・チャーチルーヒトラーから世界を救った男』である。

ひょんなことで、あるメルマガのせいで、そのメーキャップさんの話から、興味をもったにせよ、チャーチルは、私にとっては、関心のある人物であった。

戦争の映画だと思っていた。

英語のタイトルは、『darkest hours』であった。

最も暗い、暗黒の時間?

戦争映画というより、チャーチルの内面を描いた、人間ドラマだった。

映画で描かれている日数で言えば、ほんの数週間ではなかったであろうか。

1940年の5月。

ヒトラーが、ヨーロッパを西へ西へと侵略を進めていくその息の詰まるような時間のなかで、隣国フランスの窮地に直面し、ドイツ軍のイギリス上陸 の可能性を見据える中での、首相就任。英国の国政を、ドイツへの姿勢を、どう貫いていくかという、首相チャーチルの苦悩を描いている。

夫婦愛から語ることもできるだろうし、支えてくれる人がいてこそ、人間は強くなれるのだと語ることもできよう。

また、敵対したり、互いを馬の合わない人間と感じていても、本気を出している相手に対して、また、その情熱に対して、周囲が動き出すものだという側面から語ることもできるだろう。

また、表面的な勝ち負けでない、人生の複雑さからも語ることもできるだろう。

暗く重い時間を、なんとか耐え抜く人の姿を描いていた。そういうときにこそ、人の真価が問われるのであろうけれど。それにしても・・・。

正直、映画の前半は、観に来て失敗だったかと思うほど、重たくて、どうしようもなかった。

気分転換をしに、リフレッシュをしに観に来たのに、いったいなんなの?とも思った。

それは、チャーチルの重さが伝わってきているのだと、ハッと気づいた瞬間があった。さすがはイギリス人を描いた映画だけあって、何かをはっきりと表現するのではなく、なんとなく重さがじわじわと迫ってくるのである。最初は、これが、あの話題の作品?と思ったけれど、何が何が、さすがは名優ゲーリー・オールドマンである。これが、本当の仕事だなあ、と思った。理屈でなしに、伝わってくるのである。

後半戦は、泣けてきて仕方がなかった。

チャーチルの秘書をしている若い女性の兄が、チャーチルの戦略に直接に関わって戦死する。そのことを知って、彼女をじっと見つめるチャーチル。『どうされたんですか?』と問う女性に、『ただ見ているだけだ。』と一言だけ答える。その表情から、直接的に、悲しみとか、責任感とか、苦悩を表してはいない。しかし、何かがチャーチルの中で動いているのが、感じられるのである。

ヒトラーに屈してしまいそうになるチャーチルの、その直感を信じ、意志を貫かせたのは、チャーチルその人と、互いに反目し合ってきた国王だった。

『君を首相にしたのは、君が唯一、ヒトラーを怯えさせることができる男だからだ。庶民の気持ちを聴くんだ。』という意味のことをチャーチルに言うのだ。それからの友情を誓って。

チャーチルの演説は素晴らしい。

泣けてきて仕方がなかった。

泣いている私が笑われるのではないか?と思うほどに、何か、はっきりとした、大きな表現がなされるわけではない。

でも、つくづくと、ああ、これがイギリス人なんだ、これが英国なんだなあ、と思わされた。

それにしても、改めて実感したのは、人間は、自分という人間を理解してくれる人のためには強くなれるのだなあ、ということだった。

チャーチル夫人が、怒りっぽい夫を背中から抱きしめて、『欠点があるから強くなれる。』という場面。チャーチルの味方になってくれる若い秘書のチャーチルを見守る温かいまなざし。チャーチルの味方になることを誓う国王の言葉。

なんで泣いているのかわからずに、何かに感じ入って、いつの間にか涙が溢れてどうしようもなかった。

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