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小学校教諭を目指さなかった理由


これも、ずいぶん前に書き始めたもので、なんで、この話になったのかも忘れたのですが・・・。

中学生のころ、私の夢は、「中学校の社会の先生になって、ブラスバンド部の顧問をすること。」というものだった。

高校教諭はあり得ても(ただ、まだ高校生活を送ったことがなかったので、私は、ただ中学校が楽しいと思っていただけかもしれない。)、小学校の先生になることだけは、あり得なかったような気がする。もちろん、大阪府の小学校の教員採用試験は、体育ができなければならない、というものがあったのも理由の一つであったであろうことは、間違いない。しかし、試験で体育がある、と大騒ぎされていたのは、25メートルを泳ぎ切る、くらいのことではなかったかと記憶している。それならば、なぜ、そんなに小学校だけ避けたかと言うと、やはり、責任の問題だったのだと思う。

小さな子どもに自分のようなものの影響を受けさせてもいいのだろうか?

どう考えても、小学生に何か薫陶を授けるだけの、人格面に自信などなかったのだろうと思う。

子どもが小さければ小さいほど、先生の影響は大きくなると思う。

中学生や、まして高校生になれば、『この先生は○○な人やなあ・・・。』と適当に判断してくれる面もあろうが、小学生なんて、あとあと自分のしたことの影響を考えると、責任の重さに、絶対に無理、という結論となった。

逆に、小さい子に自分の影響を与えたいから、小学校教諭を、と選んだ人もいて、どうしたら、そんな自信を持てるのだろうと思った。

幼稚園から、短大や衛生専門学校まである総合学園で、高校教諭をしていた関係で、それはそれは、子どもを育てることの大切さを聞かされてきた。先生方の奥様には、かつて先輩として働いておられた方や、周りには小学校の先生がいらしたり、先輩の先生の奥様方とのお付き合いもあった。

皆さま、本当に一生懸命子育てをしておられた。

夫婦仲良くが原則だから、男性の先生方も奥様方に、余計な心配をされないように、上層部の職員会議が長引いたときなど、会議室から順番に先生方が出て来られて、奥様にお電話しておられた。会議が長引いて、お夕飯家で食べられないから、と。ご臨席の先生方には、上等のお寿司が振る舞われた。鯛のおつゆ付きで。

そんなとき、書記として出席していないときなど(ものすごく重要な案件のときには呼ばれない。)、国語科の先輩の先生が、手招きして、『これね。寮に持って帰って食べて。僕はうちに夕飯あるから。おつゆはさすがにダメだと思うけど・・・。』誠実な誠実な、学識深い先輩だった。いつも新任の私を、同じ学年でもないのに、とてもかわいがってくださって、その次の年には、その先生が学年主任をしておられる学年に入れていただいた。

年度の終わりには、ほとんど人を褒めるのを聞いたことのない先生が、人事の会議でのことを、『いつも仕事を頼んだら、快くやってくれるって、みんな言ってたよ。そう、みんな評価してた。新任のときなんて、自分で判断できることなんて何にもないもんなあ。先輩に仕事を教えられて、走り回って覚えてなんぼだよなあ。』なんて、珍しく褒めてくださった。

子育て中だった従姉は、私は、高校教育をしているなんてもったいない人間で、幼児教育や、初等教育にとっても向いている、とこれ以上はないほど褒めてくれた。

これは、いまだ褒め言葉なのかどうか疑わしいにせよ。要するに同じレベルで遊んでいただけのことであるが・・・。笑

いずれにせよ、私は、かつても今も、保育園の先生にも、幼稚園の先生にも、小学校の先生にはとてもなる自信がなかったし、仮に誰が向いていると言ってくれようと、今も絶対にできない仕事だと思っている。あまりにも畏れ多くて。

ただただ、なんとなく、その先輩にいただいたお寿司にまつわる(お寿司がただただ上等でおいしかったということではなく・・・。笑)思いやりを思い出して、ああ、いろんな人に育てていただいてきたなあ、と懐かしく思い出していた。

転勤族だった親御さんに着いて、高岡でも過ごされたことのある先輩の先生は、お年賀状に、『高岡は、僕にとっては思い出の場所です。古城公園でのラジオ体操(これはうちの子どもたちも同じ経験をした。)、読売会館の上で友だちと食べたソフトクリームなど・・・。』なんて、毎年思いやりのある言葉で、何か一言を添えてくださった。現役一年目、きっと必死で動き回っていた後輩の私に、どこか一生懸命褒めるところを探して言ってくださった言葉だったんだろうな。

とても繊細で、誠実な先生だった。

繊細だから、わりと神経の細かいところのある私の気持ちを察してくださるのも、その先輩だった。

まあ、国語科の教師が、図太くなりすぎるのもどうかと思うけれど・・・。

一応、文学をやってきたはずだし・・・。笑。

年を重ねて、経験が、かなり毎日を生きやすくしてくれている。

それでもやはり、人の子を、乳児期から、あるいは、幼児期から育てることの畏れ多さと、喜びも大きいながら、そうして、自分から、与えられたものとして取り組むにせよ、その責任の重さの前に、頭を下げざるを得ないような気持ちを抱く自分がいる。

そう言えば、先輩が文章に書いておられた言葉に、本当に頭がいい、ということは、必要なときに、必要なことに気付くこと、というのがあった。

タイミングの良さについてなど、いろいろなことを教えてくださる先輩方に、本当に恵まれていたなあ、と今更ながらに感謝している。若い頃、どれほどの人の思いやりの中で、育てていただいていたかを、自分が年を重ねて、後輩、というものをたくさん持つ身になってみて、最近、本当に実感している自分がいる。

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