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運動家?愛情の人?


 昨日、 Googleで検索しようとして、それで知ったのだけれど、昨日は、アメリカの女性社会運動家の生誕記念日だったそうである。文学に秀でた博士、ということらしい。詩や名言がたくさんある。

 単純な、いわゆるわかりやすい性格らしい(よく言われる。)私は、その博士の、業績と、でも、アメリカ国民がその博士を尊敬してやまないのは、博士が、児童虐待の経験をもち、17歳でシングルマザーになり、それでもその後の人生を果敢に生きて、人々に尊敬されるほどの溢れんばかりの愛を歌った歌手であり、詩人であったからだと知り、感銘を受けた。

 折しも、先日、面談をしていたとき、ある生徒さんに、そのお父様を前にして、お話しさせていただいていたのだった。どうしても、○○の教科を選択して、それで、それが進路につながるのだろうか?という不安にさいなまれることはあると思う、国公立大受験でたくさんの教科を選択するより、私大受験にして、教科を絞った方がいいのではないか。あるいは、理系を貫いて大丈夫か、など。

 過去に○○のことがあったから、今、○○なんです、という考えはある意味もっともで、原因を突き止めるのは大切なことかもしれない。ただ、そこにこだわって、原因探しに時間を取られていては、教科の学習は進まない。

 ある意味、過去の自分と向き合い、少しずつ過去の影響を癒しつつ、付き合いながら、それでも少しずつ前へ進むのが、よりよく生きることではないだろうか。

 私は言った。よく未来は変えられるっていうけれど、私は、過去も変えられると思う。未来は、確定できない、○○の教科を取るか取らないかについて、決めるのは私ではなくて、自分自身でしかない。だって、自分の受験だもの。ただ、決めたら、前を見て走るしかない。何かをやりもしないで(何も、たくさんの教科を取ることをお勧めした、ということではない。)、できるかできないかは誰にも分らない。ただ、走りぬいたそのときになって、過去のあのときがあったから、今の自分があるんだ、と言えたら、過去にあった辛い思い出も、素晴らしいものに塗り替えられるんだ、と。

 まるで自分自身に話しかけているように、彼に話していた。

 昨日、その、粘り強く愛を貫いた女性博士が、私のこの世で一番敬愛する年若い女性と同じ名前だと知った。彼女がもっともっと若いときに、私は、年輩の人の誰よりも、同世代の誰よりも、自分よりも若い世代のすべての人を入れても、何かあったときに、相談して、彼女ほど、建設的で、前向きで、その時その場で、最も私にとって適切な言葉を掛けてくれる女性はいないと思い知ったことがあった。

 彼女の祖父をして、『あの年で、あいつは、いらんことを一言も言わん。』と感嘆せしめた彼女である。何が、彼女をそんな人格にしたのかはわからない。

 けれど、彼女には、たくさん愛する人がいるのだろう。愛に溢れているのだろう。だから、人を傷つけるような言葉を使いたくないのだろう。

 そんな立派な社会運動家と同じ名前だったなんて!

 たしか、彼女の母は、専門であるある国学者の作品の中に引用された、荘子の論から取って名前を付けたはずである。中国の思想に基づいてつけた名前が、アメリカ人の名前として通用する名前だったなんて!

 きっと年若かった母も、初めてのわが子を愛して愛して、一生懸命考えた名前だったのだろう。

 確かに、愛がすべてを変える、というのは真実だろう。

 愛する人がいるから、みんな頑張れるのだと思う。

 立派な人だから、というのではなくて、ひどい目に遭ってもなお、愛を貫いた人と同じ名前であったということが嬉しかった。

 もちろん、誰が見ても幸せな状況が続けば、それほど結構なことはないのかもしれないが、人間にとって、教育と同じく、一度身についてしまったら、誰にもとられない、どんなことがあっても粘り強く生き抜いていく力ほど、その人をしあわせだと実感させるものはないと思う。

 乗り越えること、乗り越えたことがたくさんあること、それほどの大きな喜びがあるだろうか。誇りをもって、あの受験を、あの時代を、生き抜いたんです!でも、誰も恨まないし、それでも赦して、人を愛するんです!なんて、なんだかいろんなことを混同しているが、人を愛するって大きなことだと思う。

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