話を聴くこと
最近、人の話をお聴きする時間が長い。
国公立二次試験が終わったと同時に、なぜか、ある人のお話をお聴きすることになった。
仕事は追っかけてくる。
特に実務仕事。
昨日は、業者さんが来訪され、次のしなければならないと思っていた仕事について、背中を押していただいたような形である。
中三生に対しては、毎日来てもらえるようにして、できるだけ勉強ができるような状態を作るようにしている。
さながら中三チームのようである。
大学受験組は、発表待ちの生徒さんを除くと、大体進路が決まりつつある。
指導が、高校受験がメインになった途端、なぜか、ある方のお話を傾聴する機会に恵まれた。
新卒の学校でものすごく教え込まれたのは、生徒の気持ちを聴くということだった。
だから、子育て時代、神経質なほどに、子どもの気持ちを聴くようにしていた。
もちろん、彼らのこころのなかにあったことまでもはわからないが、ただただ気持ちを聴くようにだけは努めていた。聞き損なったらどうしよう?という気持ちで・・・。
高岡の中心部から引っ越すことが決まった年の御車山祭りに、夜、歩いて出掛けたことがあった。
私と娘と息子で。
高岡大和の夜店で、金魚掬いのお店があった。
娘と息子と一回ずつやらせてあげた。もしかしたら、二回ずつかもしれない。
息子が、途中で、姉に代わってもらい、結局大した戦績もなく、お店の人が2.3匹の金魚をビニール袋に入れてくださった。それをお土産にしての帰り道、息子がグズグズ泣いている。なんで泣いているのかわからないが、なんでも、『お姉ちゃんがー、!』と怒っている。この文脈で、姉が悪くなるってどういうことだろう?彼の機嫌の悪さにてこずりながら、一生懸命彼の話を訊いていた。
もしかしたら!と気づいたことがあった。
『もしかしたら、あの大きな出目金がほしかったの?』と訊くと、可愛らしく、『うん。』と小さな声で答えた。
ああなるほど!だから、出目金を救ってほしくて、お姉ちゃんにお願いしたんだな。
それからの私は、あの出目金は、誰がやっても救えないようになっているのよ。たぶん、何匹掬っても、もらえないようになっているのよ、と事細かに説明した。
そうしたら、彼は納得して、すっかり泣き止んだ。
あの時、彼の気持ちを聴こうとせずに、ただただ叱りつけて、黙らせていたら、と思うと今でもぞっとする。
私は、今、人の気持ちを、しっかり聴けているだろうか?
誰しもが持つはずの、先入観や固定観念から、人の話を聴いていないだろうか?
気をつけながらも、また、そういうことはよくありがちではあるが、とにかく理解することに努めなければならないには違いない。
この仕事をしていて、人の話を聞かせていただくこと、という基本的なことの重要性を、つくづく感じている。