メンター?


今日は、突然化学のY先生が、教室を訪ねてくださった。

自分が大変なときほど、人の本質が出てくるものだなあ、とつくづく勉強になっている日々である。

さっき、O先生と話していて、『私は、仕事を、自分の人格を磨くためにやっています。』などと格好いいことを言ってしまった。横で聴いていた、Kちゃんに、なにげに(まあ、なんて日本語!)見つめられて、『嘘くさいって?』と訊いたら、『いやあ、すごいなー、と思って。』と褒めていただいたりした。勉強は、何のためにするか?という基本的な話から、『勉強や仕事って、私の場合、自分を向上させるため、というのが大きいなあ。』と答えてしまった。事実そうだろう。仕事での苦労なしに、向上しないし、何より、何か起こらなかったら、退屈で、面白くない、乗り越えていくことがたのしいのであって。

だから、周りの人が、あれこれやってくれれば、こちらとしては、なんでだろう?と考えたり、まあ、あらゆる解決策などを考えたりするので、あんまり周りに、よくできた方ばかりいらっしゃると、私の成長はないので、まあまあ、少しばかり困らせられたり、戸惑わされていてちょうど、というものだったりして・・・、と考えてみたり・・・。

Kちゃんと同じような経験として、私の場合は、彼女とはちょっと違うけれど、小学校5,6年の先生が、あまりにも怖くて(尋常ではなかった。暴言や暴力は、体罰というようなレベルではなかった。)、それで、怒られる理由を徹底的になくそうという、非常に軽薄な理由から、なんだか勉強し出した。目立ったら怒られそうだから、とにかくおとなしくしていた。しかし、そのせいで、そののちの進学が決まり、就職が決まり、進路が決まった。あの方がいらっしゃらなければ、私は、少なくとも学問とは出会っていないのだなあ、と追懐している自分がおかしくなる。

誰かに復讐しようという気は起らないが、見返したい、くらいはあるかなあ・・・。

ある人が言った。

最大の復讐は、忘れること。相手の存在を覚えていないかのように忘れること。

私は、復讐する気はないので、まあ、忘れるまで行かなくてもいい、普通にしゃべれること。くらいがちょうどいい。

でも、今、しゃべることができない、というときを、少々自分に対して許可を出してもいいかなあと思う。

しゃべらないというより、しゃべれない、というのなら。

メンターが、いいアドバイスをしてくれた。

あほちゃうか!?という調子で。

やらせとけばいいやんか・・・、と。

なるほどね!となった。

別にいいやん、と。

そうですね!

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