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愛するということ、愛されるということ


実は、二月二日に書いたブログで、後日談があります。

気付いていないかもしれないけれど、愛されてきたなあ、と思うことがある。時折実感として。

今、教室は、受験真っ最中。

私大、国公立二次試験に向けて、必死の指導。

であるが、昨日は、とうとうダウン。現代文が読めなくなった。

英文は、読んでないが、だんだん頭が回らなくなってくるのを感じ、昨日一日と、今日のお昼間は、ほかの先生にお願いして、お休みさせていただいた。

周りに、休んでください、と注意されていたが、受験生たちの熱気に、私が休むわけにはいかない、と頑張っていて、それに、ほかの先生の相談を受けたりしていて、ちょっと引き金になることがあって、ドーンと来てしまった。

件の先生に、ちょっとぶつけた。

そうしたら、『それは、しんどいよなー。そういうのって、○○やし・・・。』なんて、まるで、私の状態を分かってくださっている様子。

一言言ったら、返されるに決まってるから、言っても・・・、という面あるし・・・、と言うと、まあ、相手にせんことやなあ、と言われても、相手にせずにいられない相手だから困るわけで・・・。ただし、私の大切な人に役立ってくれるから、まあ、私としても、 私の嫌いな言葉あるが、我慢しなければならないわけで・・・。

実は、私は、我慢、という言葉が嫌いである。

何かを我慢している、という状態で置いておくのが嫌いである。しんどい状況を、楽しめるところまで持って行ってなんぼ、と思っている。仕事も然り、家事も然り、人間関係も然り。

それでも、こんなとき、理解して、共感して、分かってくださる人がいるだけでも、愛されていると言っていいではないか・・・。

私が、誰かに負担をかけている場合ではない。

私が、支えにならなくてはならないときに、どうのこうの言ってられないはずである。

まあ、あと少し頑張ろう!

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