母になった喜び
仕事を通して、嬉しい出来事に、どれほど出会ってきたことだろう。
感激屋の私は、あれこれ生徒さんにいいことがあっては、泣いたり笑ったりして、とっても嬉しい気持ちをになる。教育の仕事に携わっていることを、どれほどありがたく思ってきたかわからない。
どんなにつらいことがあっても、この仕事さえしていれば乗り越えられる、そんな仕事だと思う。
折しも受験真っただ中。
今日、ある人に、『センターも終わって、少し落ち着いて来られたんじゃないですか?』なんて労わりの言葉?を掛けていただいた。
『毎日、仕事以外は、眠るだけの生活でした。』なんて言って、そうそう、専門学校の授業が、今日で終わりました、とご報告した。
当初、お引き受けしたときは、事前に伝えられていた通りではないにしても、なかなか時間的に大変だったし、初めての授業で、しばらく慣れるのに、学生たちの気持ちを理解するのに、時間がかかった。しかし、受験期が迫ってくるごとに、教室での仕事をしていて煮詰まりそうなとき、専門学校に行って、なんだかリフレッシュしてくることが多くなった。彼らの顔が、 明るい笑顔が、私を支えてくれるようになった。
一生懸命アルバイトしている彼らの、その先を、お客として訪ねたときの、嬉しそうな顔。いつも満面の笑みで迎えてくれた。
つくづく教師っていう仕事の楽しさを思ってしまう。
先日から、生徒に、先生のリフレッシュって何ですか?と訊かれる。
教室のピアノを弾きたいのだけれど、私の座る、教師席から、数歩のところにあるにもかかわらず、なかなかピアノまでの距離が遠い。
冬期講習時は、5分では足りないけど、10分は弾けないから、7分弾くのが気分転換、と笑い話にしていた。
大好きなことはたくさんある。
しかし、リフレッシュすることは何か、と共に、一番幸せだったことは?という問いに、決まって答えてしまう、人生で最大に嬉しかったことは、2回ある。と言っても、最初の、感動をともなった衝撃は、今思い出してもすごかったと思う。
試験に合格したこと。採用試験に合格して、教員になったこと。など、節目節目にいろいろあったけれど、特に自分で努力してそうなった、ということには、強く喜びを感じたけれど、そんなことぶっ飛んでしまうくらいに大きかった喜び。それまでの価値観を大きく変えてしまった出来事といえば、やはり母親になったことだったと思う。
○○年前の今頃、私は、分娩台の上で、わが子と対面する為に一生懸命になっていた。予定日を2週間超えて、わずかに過期産になるところだった。周りのみんなを心配させて生まれてきた子は、それはまるまる太った、でーんをして、何が起こっても動じません!みたいな女の子だった。
女らしい顔をしながら、芯の強い、我慢強い彼女である。
生まれたての彼女を抱いて、なんでこの子、私をお母さんだと知っているのかな?と思った。お腹の中にいながらも、慣れない土地にやってきた、その10か月ほどを共に過ごしてきた、まるで戦友だった。お腹の中の彼女の胎教に悪くなっては、と心を揺らしがちな自分を何とかコントロールして、生活していた。彼女の人生が明るいものであることを祈って、そのことだけを考えて、前向きに、必死で努力していた。あの、若かった自分の努力を想えば、今の自分の努力など、たかが知れている。
必死で自分を保ってきた自分に、まるでご褒美ででもあるかのように、ドーンとした娘が生まれて、本当にホッとするとともに、本当に嬉しかった。可愛くて可愛くてたまらなかった。
仕事となんか、比べ物にならない大きな大きな喜びに思えた。
産んでみると、意外や意外、私は、母性の強い母だったようだ。
幼稚園に入るとき、担任の先生に娘が取られるような気がしたくらい。笑
だから、お子さんを可愛がって、ついつい心配もされる、お母さま方の気持ちが痛いほどよくわかる。
大事な大事な娘である。
どうぞしあわせな人生を歩んでくれますように!
いつになっても、初めて対面したときと同様、彼女のしあわせばかりを願っている。
親が手を出すより、世間で、人様の中で学ぶ年ごろである。
どうぞ、人に恵まれ、たくさん学んでくれますように。
辛いことも、学びと受け止めて、謙虚に、でも、自分らしく生きていってほしい。今までと同じように。
強く、しなやかに・・・。