お誕生日♡
しばらくブログを書くことができなかった。
冬期講習中は忙しすぎて、センターまでは息つく暇もなく、でも、今年は結構元気だなー、なんてご満悦であった(何せ、毎年の眼精疲労、肩こり、緊張型頭痛が全然やってこない。しかし、ドライスキンによる全身の痒さには困り果て、急遽加湿器を探し出してきた。この加湿器を、ハクション大魔王のあくびちゃんに似ているので、私は、あくびちゃんと呼んで、愛用している。その他、ボディソープを替え、ボディーローションを塗りたくり、すべて通販。)。が、しかし、センター後一週間経って、さすがに疲れがどっときて、お休みさせていただける何コマかの授業をお休みいただいて、振替することにした。
今日は、少し良くなったけれど、このあと、夜の指導まで、少しお休みをいただこうと思っている。午後一の授業を少し早めに切り上げた。
実は、今日は、モーツァルトのお誕生日である。あまり得意な作曲家ではないけれど。
そうして、世界で一番敬愛してやまない女性のお誕生日である。
彼女が生まれたのは、朝の3時27分だったから、しかも、「この子は元気でええなー。」と院長先生がいつも言っておられたほどのまるまると肥えた、子ブタちゃんだったので、ちょうどそのとき、早産で、ものすごく小さく生まれた赤ちゃんのお母さんが、大病院に連れていかれた赤ちゃんとは別に同じ病室におられたので、余計に、彼女が、元気で生まれてくれたことのありがたさが身に染みていた。ちょっと脱線していたけれど、赤ちゃんのお世話をしていただけたので、私は、赤ちゃんを産んだ後、しっかり眠っていてもよかったのに、初めてのお産の緊張からか、神経が冴えて、全然眠れなかった。何が言いたいかと言えば、私は、彼女を産んだ○○年後、受験指導に必死で、眠るのも惜しいということである。
この赤ん坊は、関西弁で言うところの、とにかく、人から「いらいたくられる」赤ん坊であった。みんなが触っていく。院長先生も、つんつんと、ほっぺを突かれる。関係のない隣のベッドの赤ちゃんを見に来られたおじさんまでもが触っていかれた。
自分がいかに愛されて育ってきたかを、人は自覚して生きているものだろうか。
ここ数日、私が、幾分休み勝ちでいるのに、なぜか、教室は、前へ、前へ、と状況が進んでいる。
もちろん、高三は、受験校を決定し、中三も、ほぼ決定した。それも大きく前へ進んでいることである。
しかし、それとはまた違った意味で、ここ数日の動きが激しい。
私が休みがちだというのに・・・。事柄だけは進んで行く。
先日、高1Uくんに言われた。
先生、大丈夫かと思う・・・、と。
こんなに一生懸命やっていて、大丈夫かと。
えっ?そんなこと思ってたん?
お休みをいただきます、と言って、お叱りを受けても仕方がないのに、分刻みのお仕事でしたものね、ゆっくり休んでください、なんて、皆様に行っていただいて、本当に感謝している。挙句の果てに、先生、倒れたん、うちの子のせいかと思って・・・、だって?違います、違います。年のせいです。笑 いや、そうでもないか。受験期ってそういうもんで・・・。
私は、もっともっと指導をしたい。一問でも多く演習したい。詰めていきたい。それなのに・・・、と、思うようにいかない自分にイライラしているのに、そんな風に言っていただけるだなんて。
だいたい、私は、家庭生活においては、感謝されることが少ないが、どうも、仕事においては、自分が思っていた以上に、思っていただけて、申し訳ないなあ、と思っている。
まあね、家庭においては、みんな、「こいつはできる。」と期待されてきたのだ、と良い風に解釈することにしよう・・・(幾分拗ねている私。)。
一方、また2月20日に、雑誌に当教室が掲載される。今度は、高岡色がたくさん出ている記事のようである。
それから、まだ公表はできないけれど、ちょっと動きがある。
私の意志とは別に、何かに突き動かされているように、動いている。
あの、初めて赤ちゃんを産んだ、感動でいっぱいで、しあわせいっぱいだった日の、○○年後の私は、一人一人のお母さま方の気持ちに、ついつい共感してしまいながら、ときに厳しい顔もしながら、そうして、いまいち効果的でないが、思いっきり怒った顔もしながら(私が怒ったのに、先生、怒っとったーん?と生徒たちは言っているらしい。気もついていないという説もある。母さん、怒っとるけど、ほんまは俺のこと愛しとるから、と小さい頃、思い切りうぬぼれていた誰かさんと同じである。)、でも、忙しく仕事をさせていただいている。そうそう、かつて、同級生の人(関係性が、同級生、ではない。)から言われた。親が一生懸命に生きることが、最大の教育、と。
世の中うまくできているものだなあ。なんか言い訳っぽいかしらん?
彼女の一年が、素敵な一年でありますように!一応母の顔。笑