嫌いということ
昨日、午前中、教室での指導中に、誰かがした「生理的に嫌い」という発言について、その言葉は、私には言えない、という話をした。言えるか言えないかではなく、心中で思えるか?つまりは、内心でも思えるか?ということである。
かつて、娘が、息子の先輩で、彼女が知っている子のことを、「あの子、私、嫌い。」というので、「なんで?」と訊いたら、「なんか。」と言う。
私は、「なんか。」で嫌いになってもいいのか?と考えた。つまりは、言葉で説明できない理由なんかで、根拠なしに、嫌えるのか?と思った。
女子生徒に訊いてみたら、やはり、そういうことって、表現はしないけど、あると言う。
大学に行って聞いてみたら、男子全員、「根拠があるから、嫌いになるけど、何もしないのに、は、男の場合、ないっすよ!」と言われ、たった一人の、可愛い♡女学生に訊いてみると、やはり「生理的に嫌い」はあるのだそうで、「ああ、私が男っぽいねんな。」と言ってしまった。
女性の方が感性的だから・・・。
で、私。今、課題にしていること。
嫌いを言えるようになること。というより、内心の嫌いを、認めてあげられるようになること、で、ある。
アシスタントのKちゃんに、「マザー・テレサやもんね?」とよくからかわれる。面倒見がいい、とか、人がいいとか、よく言われる。私なんかがマザー・テレサなんて言われているということは、きっと私は偽善者に違いない、と思い始め、私は、私の嫌いに、もう少し敏感にならねば、と思っている。女性らしく、「生理的に嫌い」と思えるように、「なんか嫌い。」とか、なんか違う(これは言えてる気がする。)を言わなくても、思っていることに気付けるようになりたいなあ、と思っているのである。男子のように、根拠なく嫌いはない、ではなく、根拠なく嫌い、が言えたら、感性に敏感になれたら、頭を通さずに、感じられたらいいな、と思うのである。
もう少し、自分の気持ちに素直になりたいなあ、と思っている。
あ、無理してる、無理してたな、と気づいた私の感想。