価値観の違い
先日、ある人に、「それを聞くんだったら、先生、もっとショックなこと聞かなくてはいけなくなりますよ・・・。」と言われた内容をお聞きして、私は、逆にホッとした。なんだか勘違いされているようだった。ただただ納得。ただ、もうこれ以上、自分に関わらなければ、誰がどこで何をしようと知ったこっちゃないので、もう、これ以上、私に関わらないでさえくれたら、それ以外、何の関係もないのである。
私があることを、ある人を怒ったことに対してだったのだけれど、それは、仕事がらみだったからであって、そうではないプライベートのことを聴いたって、ショックも何も、人のことどうでもいいんだけれど・・・。仕事と関わる部分についてだけ、怒り倒していたけど。感情論ではなくて、神聖な仕事を感情論で、邪魔されたら怒るけど、それ以外の、誰が何をしようと、別にいったい何を気にしなければならないというのだろう?まあ、人間性に対して、もちろん、嫌悪感や、軽蔑の感情は残るかもしれないけれど、それだけで、それ以上の感情をどうして持ち得るのかわからない。
私という人間を誤解している。
ある人が、上手に状況を分析してくれた。
女源氏は、結構誰にでも親切で、誠実に応える(らしい)ので、勘違いされやすいだろうね、と話された。
確かに確かに、その点で、変なことに巻き込まれかけたことがなくはないけど。これは大学時代からだった。
自分はそんな気ないんだけれど、愛想がよいので、なんだかの好意があるのかと思われがちなところがある。また、教育者として、人を育てたり、あるいは親切を尽くしてなんぼ、という面もある。
しかし、あまり親切にされ慣れていない人に、親切を尽くすのは、いかがなものか?と思い始めている。
ちょっと反省。
しかも、人の真心には応えなくては・・・、という面がある。
真間の手児奈の気持ちがよくわかるほど、私は、誰かの愛情に平気な人間ではいられないのかもしれない。
それは、ご近所の人かもしれないし,ことさらお世話になった人かもしれない。
でも、無理なときは苦しむ。
そう、苦しんできたのだなあ、お疲れ様、と言ってあげたいし、言われた。ハハハ。
きっと、前より少しは成長した私として、私は存在しているのだろう。