生きていく力


今日、生徒に話していた。

国語力が落ちている、とはっきりわかる現代っ子たち。

今までは、ワークを中心に取り組んでいたけれど、中学生には、新手の方法で、もう、私独自の方法で、国語力の伸長を目指すことにした。

まずは、新聞記事の要約から。

私が読んでから、耳から聞いた情報について、答えさせてみる。それだけ、何かに頼らなければできないか?というほど正確に書き留めないと不安な様子。

あれこれ質問をする。なんだか女生徒の方が、勇気がある答え方をする。

次に、実際に文章を読ませて、大事なところを抜き書きして、要約にトライさせてみた。

完コピや・・・、なんて言いながら、でもまだ完コピする元気があるなら、読みながら、まとめる力がないから、理解しながら、書いていく、というのであれば、まだまだ勇気があると言える。

国語って、勇気のいる教科である。まとめる責任は、自分で取らなければならないのだから。一番先に、上手にまとめたのは、やはり女子だった。結構うまくまとめてあった。

ウダウダ言っている男子に、一言言い出してから、いろいろ思い付いて、結局、生きるということの意味を語る羽目になった。

わからなくても、わからないなりに、進める勇気をもちなさい。先生が、自分に何を言っているのか、何をさせたいのか、想像してごらん。自分で工夫して、仕上げるのよ・・・。なんて話から、逃げないこと、チェリーを通って、逃げる人のまま、卒業はさせない。何度でもひどい点数とってきたらいい、なんだったら、受験や就職試験で失敗してもいい(第一志望合格主義なのは、変わらないけれど。私もO先生も、これでも予備校講師。)。ただ、失敗したときに、立ち上がれる人間にして、卒業してもらう。努力もしないで、国語力が伸びない、なんて言っても知りません!しっかり自分の勉強をしてくること!やるべきことから逃げないこと。やりもしない人は、捨てます!出て行ってもらいます。何度失敗してもそこから立ち上がることのできる人間になって、卒業してもらいます。粘り強さと勇気。それをもたずに卒業させる気はない。これからの人生の中で、たくさん失敗もして、その都度立ち上がればいい。立ち上がれもしないで、逃げてばかりいて、それこそ周りに甘えるのだけ上手で・・・、そんな在り方では、自分が向上はできない。

人生に通用する力を持ってほしくて、受験指導をしているのだと、実感し直した瞬間だった。

生徒の真剣に聞いてくれている様子、目の輝き、そうして、私の話を理解してくれたような言葉が嬉しかった。

学校現場が、教師が、指導方法が、なんて批判を聞く気はない。学校につぶされた、なんて話には耳を貸したくない。ならば、自分をどうするかだけしか残っていないではないか。今からどうするか、自分に何ができるか。人にはそれぞれ立場というものがある。たくさんの生徒に、一人一人に合った教育を学校現場に求めるのは、酷というものだろう。

合わなければ、それなりの道もあるだろう。けれど、恨みからは、何にも成し得ない。それより、今の自分に何ができるか。それを考えるほうが、よっぽど気が利いている。大人になってまで、学校を非難している人もいるけど、私には、理解できない。

私塾の役割というものもあるだろう。

ただ、チェリー・ブロッサムで育った子たちには、そんな後ろ向きの人生を歩んでほしくはない。失敗したら、自分の心を慰めるために、甘えればいい、同情買って生きていけばいい、なんて思うようには育てない。絶対!

失敗が悪いわけではない。失敗したときにどう処することができるかが大事なのだと思う。だから、失敗なんてない。

エジソンが言っていたのだったか。失敗なんてない。学びか成功があるだけだ、と。

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