O先生からのメール


今日は、大学に出校の日。

朝一で、新入塾生の初めての指導をし、その後、出発。大学に行く道中、スマホを忘れたことに気付いた。

いつものようにスタバに寄ったら、先週の予備校生がいた。

今日は声など掛けずに、でも、必然的に、近くに座ることになった。

時計がなかったので、お店のスタッフに時刻を訊いて、そうしたら、おまけに私がお店を出なければならない時間を教えてくれる、という話になって、まめにスタッフとお話ししていたから、きっと、誰にでも気さくな人間だと思っていたと思うが(ちらちらこちらを見ていたので。)、まあ、変な人だとは思われていないだろう。今日は、彼もなんだか真面目に、難関大用の教材を使って勉強していた。

まだ、4分ほどありますよ、なんて言ってくださったが、少し早めに・・・、と言って、お店を出た。

授業は、前回より多い人数だったこともあって、嬉しかった。分野が面白いので、つい、熱が入ってしまう。あれこれいろんな方面から解説をし、やはり授業後残ってくれた学生とあれこれと話す。

上機嫌で、でも、ちょっぴり疲れて帰ってきた。元気の出る、ヤッター、という、気持ちのいい疲れ方で。

スマホをチェックすると、O先生からのメールが届いていた。

今回の件は、大変だったと思いますが、これがいいステップになるという気がしてなりません。自分ができることは、微力ながら、先生の進まれる道のお手伝いをしたいと思います。というような嬉しい内容だった。

なにせ、新しい仕事の準備を進め、片付けなければならないことを片付けて、リフレッシュの方法まで、相談したりして。

新しいスポーツについても、それって、結構、夜の飲み会がメインかもしれませんよ。いかにも、友だち作って、楽しんでおられそうですね。目に見えるよう・・・、なんて、笑ってくださったりして・・・。

こんないい年して、こんな風に、応援していただける同僚に恵まれていること自体がウソみたい。

実は、大学からの帰り道、かつての職場の横を通りながら、一生懸命自分が頑張った分、私にしあわせな想いをさせてくれるように、何よりもうれしい出来事が起こるようにと、助けてくださっていたんだなあ、とつくづく感謝していたのだった。働いていたころには思いもしなかったご縁が、その後あって、そちらのおかげで、私は、ずいぶんと気を楽にさせていただけることがあったのだった。まるで、したことのご褒美をいただいたみたいに。

実は、件の先生ともお話しする機会があったのだけれど、先生も、それとなく思いやってくださっているのが分かる。先生にしかできない方法で、でも、ものすごく思いやりがあるやり方で。

弟のようなO先生と、お兄さんのような先生。

そうして、懐いてくれる、学生に生徒。

ちょっぴり頼りにしてくださっている保護者の方々。

考えてみたら、ずいぶんと人に恵まれている。

たくさんの人に愛していただいているとわかった一週間だった、と言ったら、「その中に自分が入っているのかどうか・・・。」とおっしゃった方がいらっしゃったが、私は、その方を、誰より一生懸命誠意を尽くして、育ててきたと思う。

別に、育てた人みんなから、思い出してほしいとか、感謝してほしいとか、そういうこともないけれど、何らかの清らかな想いがあるなら、それを表現する力をもたなければ伝わらない。うまいこと言いでは伝わらない。真心がないと。想いがあるかのようでいて、困らせてばかりいたら、それは、相手を活かすことにはならないだろう。

かつて全然別の人に諭したことがある。

憎んでいても、それはできない、ということを、あなたは、愛している、と言っている人にできるんですよね、と。

愛するには決意がいる。

その決意をもってしても、どうしようもないとき、いくら教育者だと言っても限界もあろうというもの。

突き放すことが、相手のためと思えば、それも大切、などという、教育観を、昨日、O先生と話していたのだった。

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