気付くわたし。

なんだか変だった、ここ数日。
実家の両親の表現に、あれっ?と思い、なんだか寂しい気分でいた。
が、今日、その理由が分かった。
実は、新しい仕事の準備をしていたのである。
私自身、文章を書いたり写真を撮ったりして送るだけなので、そうそう、負担になっているとも思っていなかった。ただ、新しい機器を入れていただくために業者さんが来られて、それなりに気も使ったけれど、別に目新しいことをしているつもりはなかったから、それに神経を使っているとは思っていなかった。
第一、生徒さんたちを、今まで以上にサポートできる可能性だって出てくるのだし、人様のお役に立てる、という意味では範囲が広がるから、むしろ、面白いと思っているつもりだった。
夏から、とっても協力的な方がいらして、その方の信頼に応えたい、ということもあった。だから、むしろ希望に満ちた作業ではあったのであるけれど・・・。
電話で話していた。
「そりゃあ、たいへんでしょ?だって、新しく立ち上げるんでしょ?」
「でも、一回教室立ち上げてるし・・・。それに付随するような仕事で、さして、変わったことするわけではないしなあ。」
「そんなとき、結構大変な思いしていて、自分では気づかないだろうけど、結構負荷掛かっているときに、なんだか違うこと言われたら、聴く余裕なんてなくなるのは、人間として当たり前じゃないかなあ。」
なるほどなるほど。
だから、いつもなら、なんてことないことが、ひどく突き刺さってしまったりするんだなあ。
いつもなら冷静に聞けることが、違う意味に捉えられてしまったり、誰も私のこと、考えてくれへん、といじけてしまったりして・・・。
そんなことって、人間、よくあるかもしれない。自分で気が付かなかっただけで。
でも、自分のこと、よくわかってるじゃん!なんて言われたから、確かに、分析して、私は何に、もぞもぞしているのか、と常時検討はしているのだろうけど・・・。