人間関係

人間関係って相対的なものだとつくづく思わされる場面に出会った。
一人の生徒を見ていて、その周りのメンバーが変わったり、私と二人きりだったリするときに、その物言いから、まるで性格まで変わったように、違う様相を見せるのである。
よく、心理学の世界で言われたりする、バランスの法則。
どちらかが、きっちりしていて、どちらかが、いい加減だった場合、きっちりしている人が気を抜くと、いい加減な方は、すこし几帳面になる、というようなことらしい。
私自身だって、いろいろな表現で、表されたことがある。
昔、そうそうよくしゃべる子でもなかった。むしろおとなしめの子どもだった。
小学校の個人懇談会では、「重たい口を、やっとこさ開いて、でも言わなあかん、というときにはしっかり言う。」と言われたらしい。
長じて、国語の教師となって、しゃべることができなければ、どうしようもない状況になって、一生懸命話してきたと思う。
先日、中二クラスの国語を、急遽、M先生に代わってもらった。
疲れた、というのが表面的な理由だったが、本当のところは、確かに私は国語科ではプロだけれど、違う視点から、違う授業をしてもらったり、違う切り口で、指導してもらうのも、と思ったのである。
だから、大方、自分自身も参加しているような調子だった。
授業後、M先生いはく、「国語はしゃべらなくちゃいけないんですねー。疲れました。」
そう、そうなのである。
国語は、教師がしゃべらなければならない教科なのである。
周りの雰囲気を和ませようと一生懸命話しているのに、「おしゃべり」みたいに言われたら、寂しいだろう。
もしも、何かしたときの動機を、勘違いされたら、悲しいだろうと思う。
あまり、人を表面的に見て、判断したりしたくない、と思う。
自分中心に物を見ないように、気をつけたいと思っている。
でも、胸ふさがるようなこともあるよなー。
人間だからね。