知らない間に・・・。
何事にも慣れてはいけない、と思いはするが、以前だったら、もう少しは堪えただろうなあ、ということが、年々たいして気にも留めなくなっている自分の割合が大きくなってきて、もっと言うなら、自分の力で何とかしたいとは思うものの、自分の力なんてしれていて、まあ、もっと何か大きなものにゆだねて、時を待ってみるか・・・、なんて開き直るというか、何かにお任せするというか、自分の力を過信しないというか、要するに、図太くなってきたように思う。
自分のなかの変化って、ある日突然気付かされたりする。
あれ?以前だったら、もっと早くに、○○のところに駆け込んで、泣き言言ってたなあ、とか、落ち込んでたなあ、とか。それが、最近、数時間したら、忘れているのである。
何かに、腹を括る癖がついてきたのかもしれない。
少々のことでは驚かなくなってきた。
そんなこともあるかなあ・・・、なあんて。
年と共に、自分を過信しなくなっている。
期待していないのではない。
いつも競争相手は自分なのだから。
ただ、ひと時の良いと思われることも、悪いと思われることも、長いタームで見てみると、いろんな意味があるわけで・・・。
だから、すぐに忘れる。
先週、結構、教育者のはしくれとして、間接的なことで落ち込んだことも、慣れたのではなく、通り過ぎた。
もしかしたら、強力な理解者が何人かいてくださるからかもしれない。
ちょっと嬉しいご依頼があった。指導のことではないけれど。
これは、お引き受けすることにした。信頼されていなければ、いただけそうにないことなので、嬉しくて。
そのことも、自分の変化に気付くきっかけとなった。
ときは移る。
ずっと同じ状態ではない。
無常である。
などと古文の教師らしいこと、言ってみたりして。
今日の無常は、『方丈記』 的気分の無常、である。