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思い知らされたこと


人は、自分一人のためにだけ生きているのではないのだなあ、とつくづく感じさせられることがあった。

初めに聞いた時には、それほどでもなかったことが、じわりじわりと襲ってくるようなショックになった。

大阪の母から知らされたときには、「ああ、噂で聞いたことあったから。」なんて言ってたのに、だんだんと辛くなってくる。母は、あなたの立場だったら、やはりつらいと思う、と言ってくれたし、別件で相談していたときに、M先生も、ああ、とわかってくださったご様子だった。私が直接関わったわけではないけれど、間接的に、私の大事に思ってきた先輩方や、そうして教え子たちにも関わることで、大切な人が悲しむだろうことを、私が気にせずにいられるわけがない。

教育とは、それはそれは気長く、時には腹の中で泣いていてでも、突き放したり、強い言葉で戒めなければならないこともある、そうして、完成品は目に見えない、だから、手が抜けない、活動である。

かつて、娘の中学校の入学式で、女性の学年主任の先生が、「12年もの間、手塩にかけて育ててこられたお子様を、こうしてお預かりすることになり、・・・。」と言ってくださったことがあり、その誠実な想いのある言葉に泣けてきそうになったことがあった。本当に、手塩にかけた、という言葉が、実感としてあったから。教育って、子育てって本当に気長く、手が抜けない。

育ててきた、と思っている人にとって、教え子が、あるいはわが子が、人の道から外れるようなことをしたら、辛い。

まるで自分の教育や子育てを否定されたように辛くなると思う、

たった一人の人間でも、活躍すればするほど、影響力は大きい。

例えば、私のような人間でも、仮に突然いなくなったり、あるいは何か起こしたとしたら、それは、周りにどれほど影響があるか。世間で、何かをする、ということは、自分が自分自身だけのものではなくなるということでもあると思う。

自分が生かされている、その背景にどれほどの人がいてくださることか。

大好きな教育の仕事をするのにだって、どれほどの人にお世話になり、想いを掛けていただいているか。そうして、信用してくださるからこそ、大切なお金を払ってまで、大事なお子様を預けていただいているのだ、としみじみ思わされた。

人の夢を壊す権利なんてない。

自分のような人になりたいと思って、努力してくれる人がもしかしたらいるかもしれないということを、肝に銘じなければならない。と、ある人の、心の弱さに、どこかで、誰かをどうして頼ることができなかったのか、仲間がいたのでしょう、どうしてみんなに助けを求めなかったの?とまるで自分が教えたことのある子のように聞いている自分がいる。しでかしたことの大きさを憎みながらも、心の弱さに勝てなかったことを、どうしても哀れに思ってしまう自分がいる。

自分を思ってくれている人のことを考えてほしい。人は、自分一人で生きているのではないのだから。

誰があなたを育てるのに、手を抜いたって言うんですか!どれだけ愛されてきたと思ってるんですか!自分を、周りの人をそんなに粗末に扱って!怒りまくっていながら、なぜか泣いてしまう私。馬鹿だと思いながら、筋合いではないと思いながら、泣いてしまう。

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