愛おしいという想い。(ちょっと前に書いたものですが・・・。)


仕事柄、いえ、学んだ学問上、言葉に対する敏感さというものと無縁ではいられなかった。

新卒で勤めた学校では、ほとんど現代文担当で、高校時代も評論を読み解くのが大好きだったから、ああ、自分は現代文が好きなんだなあ、と思ってきたけれど、どうしてなかなかに、古文や漢文の自分に対する影響力には、恐ろしいものがある。

娘を産んだとき、まあ、二週間も遅れて生まれて、やきもきさせてくれたのに、まあ、生まれて来たら、ミルクはよく飲んで、毎日どんどん体重が増え、グーグー眠ってくれて、おまけに、ほんまにに私から生まれたん?と聞きたくなるほど、しぐさが女らしかった。抱きしめると、私の顎のあたりに、産毛が触って、ビロードのように、滑らかだった。なんで知っているのか、生まれてすぐに、私のことを母親だとわかっている、当たり前だというように?でも、少々遠慮がちに、甘えるのである。私の胸の中で、丸虫のように、両掌を、重ねて、その上に頭を載せて、まんまるくなって、まるで子犬のように、クーンクーンと甘えていた。

退院して、彼女を抱きしめていて、ふっと切なくなって、泣きたい気持ちになった。そのとき、ふいに、「悲し」と「愛し」の語源が同じであることを、身をもって実感したのである。

両方とも、何かに接して、心が打ちふるえる状態を言う。現代では、もっぱら「かなし」という言葉は、「悲しい」のほうにのみ使われるのだけれど。

私は、それから、悲しいの裏にある、「愛しい」に気持ちが向くようになってしまった。

万葉集にも、用例がある。「かなし」。

日本語は、本当に美しい。

こんな美しい言葉を用いる、わが大和民族の心性とは、なんと素晴らしいものだろう。

ドナルド・キーン先生をして、日本人の一番の宝物、と言わさしめた日本語。

世界の中で、こんなにも美しい、深く、奥行きのある言語があるだろうか。

私は、日本人に生まれてよかったと思う。

食いしん坊の、いえ、どっちかと言うと、お料理好きな私から言わせると、あの、お赤飯の色、何よ?である。あの、なんとも言えない色。あずき色が、ほんのりとした色にもち米を染めて、あの味わい深い色。

本当にあの色を見るたび、ああ、日本人に生まれてよかった、と思う。

高岡には、都会にはない色が、まだまだたくさんある。

年中行事がたくさんあって、そのたびごとにお料理があって、、なんとも言えない色が登場する。

その色を見るたび、ああ、とため息が出てしまう。

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