思い出すこと


もうすぐ、モーツァルトのお誕生日である。

お知合いですか?と訊かれても、ええ、とは言えないけれど・・・。笑

そうして、得意な作曲家ですか?と言われたら、まあ、聴いているのは好きです、としか言えないくらい、難しいけれど。

何年前、とは言えないけれど(笑)、かなり前の今頃、私は、おなかの中の赤ちゃんが生まれてくるのを待っていた。

予定日は、もう10日も遅れていた。

劣等生になった気分で待っていた。動いていないから遅いのではないか?説や、赤ちゃんに何かあったのではないか?など心配する声を聞きながら、私はその日が来るのを待っていた。

女の子であることはわかっていた。

ある日曜日の夜、大河ドラマを観ていたら、どうも始まったようで、変に度胸のある私は、体力勝負!と言わんばかりに、夕飯をたくさん食べ、父の運転する車で、母に付き添われて産院に向かった。

明け方、結構進むのが早かったわりに、ちょっとばかり難儀したものの、まるまる太った、しかも私の子供にしては、えらくはっきりした顔立ちの女の子が生まれた。産声が、なんだか低い声だったのを覚えている。あれだけ周りを心配させておいて、生まれてみたら、こんな元気な女の子?マイペースにもほどがある。

ただ、陣痛ってこんなもん?明日でも生むわ!というくらい、痛みはあまりなくて、なんだか知らぬ間に生まれてしまった。

二日間、新生児室にいたので、そばにいられなかったけれど、二日目の夜、次の日から、横の小さなベッドに連れてこられて、お昼間は自分で世話できる、ということで、なんだか緊張して眠れなかった。

「明日になったら、あの娘に会える!」と思っていた。あとで母に話したら、「まるで恋人に会うみたい!」と笑われたっけ。

あの娘が来た。

生まれて、すぐなのに、髪の毛がふさふさして、抱きしめると、おでこの産毛が顎に当たって、まるでビロードのように気持ちよかった。「あの娘」は、私に抱かれると、なぜか、私を当たり前に母親だと知っている様子で、でも少し女の子らしく、私の胸に両掌を重ねて、その上に頭を乗せて、少しばかり遠慮がちに、でも甘えるのである。可愛い声を出しながら、甘えています、というように。

不思議で仕方がなかった。

なんで私を当たり前のようにお母さんだと知っているの?なんでそんなに安心しきって、私に甘えるの?

一年前までは、まるで女性であることを無視するかのように仕事ばかりしていた私が、こんな風にお母さんになってしまっていいのかなあ。しあわせすぎて、不思議だった。

子供を産んでみて、仕事か、家庭か?なんて悩んだ自分が、ウソみたいに思えた。今なら、間違いなく子供を産むことを選ぶだろう。それにしても、こんな幸せな、そうしてすごいことを、何年も前から、女性は、普通に、当たり前に、やってきたのだろうか?

若い私は、そうして、頭でっかちだった私は、とにかく何もかもが不思議だった。

生まれてくるときにマイペースだったように、育ち方もマイペースだった。芸術家肌の面があるようで、1歳半の頃には、「ああ、この子、絵が好きなんだな。」と気づいたし、3歳になるころには、もう、絵と出会ってしまっていて、アンパンマンを描いたら、私のほうが負けてしまった。表情が全然違った。この子に、ありきたりに勉強しなさい、と言ってもよくはないなあ、と思ったりもした。

高校受験で、美術の成績が引っかかって、内申にひびいて、母校の受験に影響したほど、絵が描けなった私に、なんという運命の皮肉か、絵が大好きな子が生まれてしまい、訳が分からず、美術館の館長さんと話したり、画材屋さんに相談したり、同僚の美術の先生にいろいろお話を伺ったりした。わりと早いうちに、画塾にも入れてみたりした。

彼女のおかげで、教師としても成長させてもらった。

世の中にはいろいろな子がいるということを思い知らされた。

新卒で勤めた学校で、大先輩の奥様から、子育てについては、耳学問よろしく、たくさんお話を伺っていた。

優秀な家系である、そのお家の子育てをお聞きして、「子育ての失敗」としていろいろ訳も分からず聞いていたお話の、何が失敗なのか、一生懸命に聞いていた。

子供は、親が思うより、ずっと素晴らしい人生を生きる権利がある、とか、「うちは、いろいろ押し付けてしまって・・・。」なんて話を娘時代に聞いてしまって、それはそれはおそるおそる子育てしていた。

大学で学んだ、発達心理学の中に登場するようなことが、目の前で繰り広げられるのを見るのは面白かった。

赤ちゃんは、本当に毎日進歩している。

こけようが、痛い目に合おうが、とにかく進歩している。怖さを知らないから、とはいうものの、それはそれはとんでもない好奇心と、果敢さで、目の前のことをクリアーしていく。

人生のあり方を逆に学ばせて?いただいたのだったりして・・・笑。

毎日芸を習得されるそのすごさ。昨日できなかった、いやいや、と首を左右に振るのだって、新しいことができるようになった喜びでいっぱいのご様子。

離乳食が始まると、食いしん坊ぶりを発揮され、用意しているのを察知して、テーブルをたたいて喜んでいる。しまいには、私がお匙で口に持っていくのがもどかしく、スプーンを奪われてしまい、できっこないのに、口に持っていこうとする。すごい生命力!

とにかく自分の意志が育つように、ということだけ心掛けた。

親の意志ではなく、自分の意志で、いろいろなことに取り組めるように。

一斉授業に、完璧に収まるタイプでなかったから、先生に何度頭を下げたことか。

自分が教員であったことなどぶっ飛んで、平謝りに謝り、そうして、できるだけ先生のご指導を理解し、自分自身が先生に批判的にならぬよう、努めた。媚びを売りはしないけれど、協力的である姿勢を見せるよう、努力した。経験者でもあるから、その大変さへの共感もあったし、できることなら、個性的なわが子を理解し、できることなら受け入れてくださることを願って。

知らぬ間に年月は経ってしまった。

仕事面では、よくもあんな若さで、教師として、教壇に立ち、先生なんて呼ばれたものだ、と呆れもするけれど、一方、よくもあんな若さで母親になり、親として生き出したものだと、驚いてみたりもする。

とりあえず、どちらにおいても、若い私が必死だったことだけは、何かにつけて思い出す。おかしいくらいに真剣だったなあ。

けど、よくもやれたよなあ、とやはりびっくりする。

今年ももうすぐ。

彼女が生まれた日は、私にとって、違う意味でも記念日である。8歳のときに引っ越した日と同じ日。

その引っ越した家で、その後の出会いがいろいろあった。母校に出会えたのもそのおかげである。

そうして、なぜかモーツァルトの誕生日。

それもおかしくて、私は、彼女が生まれてくるのを、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」を聴きながら待っていた。まさか、モーツァルトと重なるとは思わずに。下の子のときは、モーツァルトの有名な「ディベルティメント」をと聴きながら待っていた。ヨーヨー・マの演奏だった。実は、その曲は、ほかの「ディベルティメント」と間違えて、買ったものだったのだけれど、それはそれで素敵で、その演奏は、分娩室でも流してもらった。

なんだか間抜けな私らしい話だけれど。笑

なんだかおかしな話である。

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