生徒への想い。
実は、ちょっぴり切ない想いもしている・・・。
生徒の将来を想って、ある選択をした。
分かってくれること、ご本人が気づいてくれることを期待しているのだが、その時を私が見ることはないのかもしれない。
教師の仕事をしていて、ちょっと辛いのは、ある意味上から目線で人にお話しなくてはならないとき。プライベートでなら絶対したくない。それから、成功体験も失敗体験も話さなくてはならないから、ときに自慢とも受け取られかねない話もしなければならない。そうして、実は深い想いがありながら、おそらくは、今の相手には響かないであろう言葉を発する必要があると自分が決意したとき。その生徒さんのことを思いながら、でもまだまだ理解できない相手に、誤解されるのを覚悟で何か言う必要があると思われたとき。
そういうとき、ビジネス的な発想は、どこかへぶっ飛んでしまっている。教育者オンリー。
経営が成り立たなければ、生徒さんを育てることはできないんだよ、と自分に言い聞かせつつ、でも、本当に育てることにはならないと思われる指導から、お金をいただくわけには、もっといかないのである。
本当に生徒さんのためになること。ある日あるとき、突然に閃いて、行動に移してしまうことがある。
今日、M先生は知っていたけれど、O先生が知らなかったことを、O先生が来られた途端、私はO先生に話してしまった。話し合って、そうしようと決めたことではあるけれど、そうして決定打を打つように、私が一番痛い言葉を言い、私が一番責任を取らなければならない立場なのだけれど、胸が痛い。
こんな想いを、教師として、何度してきたことだろう。
そうして、感謝されるのは、ずっとずっと先のこと。いや、感謝なんて期待していない。教育者は、ある意味無償の愛で、生徒さんに接していかなくてはならない。自分が傷ついたり、痛い想いするのなんか構っていられない。情に流されて、生徒の大切なときを、無駄に過ごさせるわけにいかない。一刻も早く、自分で目覚めるのを期待して、しなければならないこともある。痛い仕事だなあ・・・。
ウソウソ。私は十分報われてきた。たくさん感謝もされてきた。たまに痛い想いをするくらい、耐えなければいけない。