国語と英語
数学は、ことさらそう思うわけではないけれど、国語力と英語の力って、なんだか最近、生徒さん自身の力で、身に付きにくくなってきているのではないか?と思えてきた。
しばらく、私は、国語の授業での本来の、まるで雑談めいている話をしては、感性や思考力を高めようとする授業スタイルから、まあ、一般受けする、演習をして、できたかそうでないか?という授業に傾いていたような気がする。手っ取り早く、国語力を上げるよりも、点数を稼がなければならない受験生には、ほかの教科に力を入れてしまっていたりしたこともあるが、やはり、私がしゃべらなければ、生徒の皆様の成績は上がらないということに、思い切り気付いてしまった。演習での丸の数なんかにごまかされてはいけない。根本的に、国語の読解力をつけるためには、私がしゃべらなければ絶対にダメだとわかった。だから、これは決して雑談ではないからね、という注意事項のもと、最近はいろいろなお話をたくさんするようにしている。社会の解説も然り。そのうえで、設問分析の仕方や、問われている内容に対して、どう答えるか?という解説をするようにしている。まったく別の場所で授業していて、人の話を勝手に雑談だと思う生徒さんが、かつて何人かいたが、それは、プロの見通しがわかっていないのであって、単なる雑談なんかしていない。だから、雑談だと判断した人には、それ以上、説明をしないし、また、雑談ではないと断ってから授業している。
それから、最近、英語の文法力の低下について、仲間内や数人の保護者の方のなかで話題になっている。これは何とかせねば・・・、ということになってきた。コミュニケーション能力を重視するのは、ある意味いいことだけれど、読んだり書いたりすることができないのは、問題である。かつて私たちの時代は、本当に話すことに重点が置かれないという面はあったものの、読み書きの能力は、何とかつけてもらえる仕組みになっていたように思う。しっかりした文法の力があれば、そして読解力があれば、なんとか英語と仲良くなってはいける。文法を知らないうちから、口語の、どうしてこういう表現になるのかわからないようなものを教え込まれても、子供たちは混乱するのではないかしらん?と思うのである。
とりあえず、中学生用のテキストを作って、国語力と、英語力の基礎力をつけてもらわないと、大学受験まで、とてももたないだろうなあと思うようになってきた。中学校での力を人任せにせず、自分で育てていくつもりになってきた。大学受験が大好きな私だけれど。
ちなみに、社会の解説も、理科の計算もそして何より数学は大好きである。中学は五教科どれも大好きだけれど、やはり、ほかの教科を、仮に誰かにお願いできても、国語は私、と自負している。
私は、私の国語を教えることに、信念をもちたい。
ただし、私は、現行の教育の在り方に、文句を言うタイプではない。それよりも、対応していきたいと思う。文句言ってる暇なんてない、批判している暇もない。ただただ、現実への対応があるだけだと思う。