時間
時間、と言っても、評論によく出てくるハイデッガーの話ではありません。
自分の気持ちも思考も、いったいどこに向かっているのやら、本心すらもわからないとき、今までは、あたふたあたふた動き回って、何とか見つけようと努力したものですが、どうやら、年を重ねたせいか、誰にでも時間だけは味方に付いてくれるとばかりに、すぐには結論を出さずに、待つことも、少しはできるようになったようです。
自分が感じていることが、なんなのかわからないけれど重いとき、誰かの、ふとした言葉から、自分が重く感じていたことの正体がつかめることがあります。それは、生徒さんの言葉だったりもします。気付いてはいるけれど、言い出すことが難しかった、で、言えなくて、でも表現してみたら、案外理解を得られた、なんてこともあります。
自分にも分らないことは、しばらく放っておくことにします。本当のことが見えてくるまで。そのためにできることだけはするけれど、それ以外の自分ではどうすることもできないことは、わかるまで待ちます。
待つ、という言葉、そう言えば、古文に登場する女性は、本当に待ってばかりで、よくもまあ、あれだけ待つことができたものだと思います。古来、日本女性は、待つことが得意なのかもしれません。
櫻井の二か月前は大昔、あるいは二日前は大昔、という言葉があるのですが、それほど、状況がころころ変わっていくので、自虐的に、自分の性質を笑って表現した言葉なのですが、そんな私も、何が何だかわからないことには、早々に結論を出さずに、ちょっぴり待ってみてもいいかもしれません。何も考えずに、成り行きに任せる、というのも面白いのかもしれません。一番苦手なことをやってみましょう。