出会い

October 21, 2015

   今 朝、面白いメールが海外から来て、そのメールの意味をあちこちに電話を掛けて、調べているうちに、ひょんなことから、新たなセミナーを見つけ、結局出張に行くことになった。

 懐かしい場所で、でも、新たな場所で、そして、今まで勉強してきて、まったく違う分野で話題になったことのある場所で、私はセミナーを受けることにした。

 

 ディスカッションがあったり、食事会があったり、いろいろな場所から来られた、いろいろな人と出会うことになるだろう。数か月前だったら、全然考えもしなかったような場所だ。そして、最近したいと思っていたこととすごくつながりのあることに行き着いたことになる。本当にひょんなことで出会ってしまった。見つけてしまった。ちょっとした旅行になるので、自分を見つめるのにもいい機会になるだろう。

 

 感じていることは、思考していることにウソがつけない。思考なんて、大した力を持ってはいない。感じたことに添って動いているうちに、本当に自分が欲しているところに行き着くものだ。

 

 かつて、今はもう、世界的に有名になってしまわれた指揮者の方が、ある本の中でおっしゃっていたのを読んだ。自分は、こっち行くのかなあ、と思っていたら、あっち行けって言われて、で、今度はこっち行くのかなあと思っていたら、あっち行けって言われて行くことになって、と言われていた。

 規模も立場も大き過ぎる人の話と同じにするのはおかしいけれど、私自身にもある。頭では、こうなるのかなあと考え、それが理想的だと思われていたことが、全然予想と違って、まったく違う方向に行ってしまうことが。でも、それって、自分の気持ちが引き寄せていることなのではないかと思う。

 

 初任校で、そこは、中高一貫校だったのだけれど、私は中学校に行きたかったのに、高校に配属された。配属されてみて、とても中学校の先生にはなれない、高校のほうがまだ合ってる、と思わされた。理想を貫こうとしても、頭で考えたことを実行しようとしても、気持ちが着いて行かないことには、引き寄せられては行かない。

 

 結局、現状というのは、自分がそうしたいと引き寄せてきたものではないかと思う。なんのかんのと言って、そうしたかったことをしているし、そうなりたかったことに落ち着いているような気がする。たとえ、苦労であると思わされることであっても、実は、その苦労をしてみたかったのかもしれない、と思うこともある。

 この数年の出会いと別れって、すごかったなあと思う。スピードもそうだけれど、人数的にもすごい数になるのではないかと思う。

 教室を開いてから、教室に来てくださっている、生徒さんと、その保護者の方、そして、教室に関わっている人の数を考えたら、ときどき恐ろしくなる。会ったこともない人と、電話で親しくお話しする仲になったこともある。電話の向こうの、すごく遠いところの人の顔を、声から想像しながら、お話しする。人柄なんて、声からだってわかるものだ。と言うより、声ってウソをつけない。大体お付き合いをさせていただくことになった業者さんも、お会いしたくなるようなお話の仕方の方とお会いしているような気がする。

 

 おかしな縁で、すごく不思議なご縁で、本当に行きたかったところに、まったく違う目的で、私は行くことになった。きっと、心が、心底望んでいることなのだろう。

 名刺を、発注しておかなければならない。ちょっとしっかりしたスーツを用意してみるのもいいかもしれない。いやいや、むしろフェミニン路線でいくほうがいいのかな?今度は、名刺の肩書を、もう一つ付け加えようと思っている。出張の頃には、おそらくは一通り終えているであろう勉強と、その勉強が終わったら、一応いただけるはずの肩書。そして、その仕事が軌道に乗ったら、きっと、今までよりも、今いさせていただいている場所に、もっともっと役立たせていただけるはずだ。そのための勉強をしにいく旅行でもある。

 

 ちなみに、結構な長距離を、一人で運転して行ってみようかなあと考えた。そして、いろいろ調べたが、それはやはり今回はチャレンジするのをやめた。受験生をたくさん担当させていただいておいて、もしものことがあったら大変である。そういうチャレンジは、春まで待とう。

 

 

 

 

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